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Bibliography



磁気録音年表
A Magnetic Recording Chronological Table


世界初のオープンリールデッキは、1935年にドイツのAEGが発表したマグネトフォンが第一号機です。この前年にBASF(当時はI.G.ファルベン)が現在のオープンリールテープの原型となるマグネトフォン・バンドを完成させました。
この年表は磁気記録の歴史を中心に、関連するオーディオ、映像、無線、放送などの様々な事柄をとりまぜて作成しています。


録音機の重要事項
1877

エジソンが蓄音機を発明、人類が初めて“音”を記録・再生できるようになる
1888

ベルリナーが円盤方式の蓄音機を発明し、O.スミスが磁気録音の原理を発表
1898

ポールセンがスチールワイヤーを使った磁気録音機を発明
1925

ウェスタンエレクトリックが電気録音方式を開発
1928

フロイメル博士が磁気テープを使ったテープレコーダーを発明
1934

BASFが世界初のオープンリールテープを開発
1935

ドイツのAEGが世界初のオープンリールデッキ『Magnetophon』をベルリン放送展で発表し、磁気テープによるレコーディングが本格的に始まる
1947

アメリカでAMPEXがオープンリールデッキを、3Mがオープンリールテープを発売
1950

日本でSONYが国産初のオープンリールデッキとオープンリールテープを発売
1964

オランダのフィリップスがコンパクトカセットテープを開発
1977

PCM録音の時代始まる
1979

SONYがウォークマンを開発し「ポータブル・オーディオ」という新ジャンルを開拓
1982

CDの時代始まる
1987

DAT登場





アメリカ USA
ヨーロッパ EUROPE
日本 JAPAN


1845年



ドイツの生理学者ウェーバーが「人間は両耳を使って音源の方向や遠近を聞き分けられる」という『双耳効果』を証明



1857年


フランスの印刷技師レオン・スコット(LeonScott)が音の波形の記録に成功、樽型のホーンの先に振動板を取り付けた蓄音機に先行する記音装置『フォノトグラフ(Phonautograph)』を発明。石膏のホーンで音をとらえて振動板に伝え、その振動板につけた豚の剛毛で、煤をつけたシリンダーに音の波形を記録した。円筒式・横振幅タイプで、あらかじめ煤を塗った紙をシリンダーに巻き付け記録紙として保存できるように改良されたが、記録した音を取り出すことはできない



1865年



ドイツのルートヴィヒスハーフェンでBASF(Badische`Amilin= & Soda=Fabrik AG:バーディシェ染料化学品株式会社)が創業、後にドイツの三大染料企業の一角を占め、I.G.ファルベンを構成していた時代に現在のオープンリールテープの原型となった磁気録音テープ『マグネトフォンバンド』を開発



1875 年











1876 年

3
10日・アレクサンダー・グラハム・ベル(A.G.Bell)が、実験室で初の電話の実験に成功、受話器から発せられた『世界で初めて機械がしゃべった言葉』は「Mr. Watson , come here. I wontyou.(ワトソン君ちょっと来てくれ給え、用事がある)」と隣室の助手ワトソンを呼び出す言葉



1877
1877年
    エジソンによって『録音技術』の時代が始まる
明治10年
4

30日・フランスの科学者で詩人でもあるシャルル・クロス(C.Cros)がパリの科学アカデミーに音の記録と再生について述べた実験考察論文『聴覚により認識される現象の記録と再生』を提出、原理的にはエジソンのフォノグラフと同じ物で、円筒式ではなく円盤式だったが、実証実験の予算がなく特許は出願できず

7
18日・トーマス・エジソンがパラフィン紙に針で音を記録することに成功し、後の世界初の蓄音機『フォノグラフ』の発想につながる


12
6日・トーマス・A.エジソン(Thomas Alva Edison)が史上初の蓄音機(録音再生機)『フォノグラフ(Phonograph)』を発明、シリンダー(錫箔を張った真鍮製の円筒)に、音溝の深さの変化で音を記録する方式で、この日は自ら「メリーさんの羊」の歌声を録音・再生することに成功(日本オーディオ協会は12月6日を音の日に制定)


12
ニューヨークのサイエンティフイツク・アメリカン誌編集部にエジソンらがフォノグラフを持ち込み「ごきげんいかがですか」などと再生してスタッフを驚かせる、22日発売号で『音を言出し再生する装置』と紹介




ドイツのシーメンス社(E.W.Siemens)が『コーン・スピーカー』の特許を申請



1878年
1
24日・トーマス・エジソンが世界初のレコード会社『The Edison Speaking Phonograph Company』を設立


2
19日・トーマス・エジソンが『音を記録・再生する機械の発明(Phonograph or Speaking Machine)』で米国特許を申請、類似特許はなく2ヶ月足らずの異例の早さで特許がおりる


8


同人社文学雑誌の記事でエジソンのフォノグラフが初めて日本に紹介される、記事では“蘇言機(そげんき)”と翻訳


1879年
3


28日・東大の英国人教師ジェームス・ユーイング(James Ewing)がエジソンのフォノグラフのレプリカを製作し、築地の商工会議所で公開実験を行う、東京日日新聞の福地源一郎社長は「こんな機械ができると新聞屋は困る」としながらも、フォノグラフを“蓄音機”と命名






1880年



ドイツの発明家エミール・ベルリナー(Emil Berliner)が、ベルの電話機の発明に刺激を受け、性能の良い送話器として新型のマイクロホンを発明



1881年
1

ドイツの発明家エミール・ベルリナーが新型マイクロフォンの特許保護の供託を提出にベル電話会社に売り込み、その性能の良さからベルはその場でマイクロフォンの特許を7万5千ドルで買い取り、ベルリナーも雇い入れる

ヴォルタ研究所のチチェスター・ベル(グラハム・ベルの従兄弟)とチャールズ.S.ティンターがエジソンの錫箔の円筒より寿命の長いワックス円筒方式(ボール紙の円筒にろうを塗った方式)の蓄音機『グラフォフォン』を発明
パリの電気博覧会でフランスの電話技術者で発明家のクレマン・アデールが世界初の『ステレオ効果の実証実験』を行う、『テアトロフォン(Theatrophone)』と名付けた機器で3km離れたオペラ座の公演を40組のマイクで収録し電話線で40組の受話器と接続して再生し、そのステレオ効果に多くの人が驚く


1883年


ドイツで電気製品メーカー『ドイツ・エジソン』が設立される、後にテープレコーダーを生み出しす総合電機メーカーAEGの前身



スイスでヘルマン・トーレンスがオルゴール製造会社『トーレンス』を設立



1884年







1885年

6
27日・チチェスター・ベルとチャールズ.S.ティンターが『グラフォフォン』の特許出願




1886年







1887年
9
26日・ベル研究所のエミール・ベルリナー(Emile Berliner)が、円筒式の蓄音器『グラモフォン(Gramophone)』を発明し特許申請




ドイツ・エジソン社が『AEG(アーエーゲー:Allgemeine Elektricitats Gesellschaft)』に改称


1888
1888年
   オバリン・スミスによって“磁気による記録”が初めて提案される


ベル研究所のエミール・ベルリナー(Emile Berliner)が、その後のレコードの原型となる円盤(ディスク)方式(酸化食刻録音法)の『改良型・グラモフォン(Gramophone)』を発明。録音はできないがその後の音楽とオーディオの発展に直接つながるきわめて重要な発明となる

5
16日・ベルリナーがフィラデルフィアのフランクリン記念館でグラモフォンの公開実験を行う、


9
8日・機械技師オバリン・スミス(Oberlin Smith)がThe Electrical World誌に磁気録音機の原理となるアイデアを発表し、磁気録音機の可能性が示唆される。「電磁誘導作用によって帯状の磁性体に音声信号を記録させることができ、またその磁性体から音声信号を取り出せる」「エジソンの蓄音機はその場でしか吹き込めないが、この録音機は長距離電話の受信機に取り付け録音することもできる」とした。また多くの技術者にアイデアを公開し発展を促すために特許申請はせず無償で公開したことで、世界中の技術者や発明家が磁気録音機の開発に競って取り組むきっかけとなる








1989年



ドイツの動物音声の録音家ルートビッヒ・コッホが改良型フォノグラフと蝋管で世界で初めて野生生物の音声を記録、インドの鳥アカハラシキチョウの鳴き声で、現在もBBCのサウンドアーカイブに保存



1890年


アメリカのグラスが、マルチリスニングが可能なフォノグラフを、サンフランシスコのパレス・ロイヤル・サロンに設置し、ジュークボックスの先駆となる




1891年




国産初の蝋管レコードが作られる


1892年







1893年


“円盤レコードの発明者”エミール・ベルリナーがワシントンDCに『USグラモフォン会社』を設立し、商業ベースのレコード開発に乗り出す




1894年


米国グラモフォンが7インチ盤レコードを発売、演奏時間は2分で、1枚50セント(エジソンの円筒型は1本1ドル)




1895年

10
8日・ベルリナー・グラモフォン社が設立されレコードの本格的な商業化が始まる


12

28日・フランスのリミュエール兄弟が『シネマトグラフ』を発明し、パリで上映会、この日が『映画誕生の日』とされる



イタリアの技師グリエルモ・マルコーニが世界初の無線通信実験に成功、自宅の窓からモールス信号で2.4kmの通信



1896年







1897年



ドイツのカール・フェルディナント・ブラウンが『ブラウン管(陰極線管)』を発明


1898
1898年
磁気録音の歴史が始まる

5

16日・ウィリアム・バリー・オーエンがイギリスで『グラモフォン会社(Gramophone Company)』を設立、後のEMIとなるレコード会社



デンマークの電話技術者ヴォルデマール・ポールセン(Valdemar Poulsen)が世界初の磁気録音機『テレグラフォン(Telegraphon)』を発明し、部分磁化の原理を確立。直径12cmの円筒に直径1mm/長さ100mの鋼線(スチール・ワイヤー)を巻き、2.1m/s(7ft)で走らせて録音時間は約50秒、実際はピアノ線にカーボンマイクからの音声電流を直接電磁石で電流の強弱に応じて部分的に磁化し、再生は再びこの電磁石で同じ電流の強弱を取り出し、受話器で聞き取るもの

12

1日・デンマークのポールセンが母国で磁気録音機の原型となるテレグラフォンの特許を申請、後に独、英、仏、米など主要国でも取得に成功



1899年
明治32年
7


米ウェスタンエレクトリック社が発起人の一員となり、日本電気株式会社(NEC)設立


イギリスの『グラモフォン会社』がレコードの生産を開始



画家のフランシス・パラウドが英『グラモフォン会社』に蓄音機のホーンを借りて、犬がのぞき込む絵を描く。パラウドの兄が飼っていたフォックス・テリア犬のニッパー君が主人の声が録音されたレコードに聴き入る姿に感動して描いたとされる



1900年

7

渡英したベルリナーがニッパー君の絵を見て「これこそレコードの特徴を人に訴えられる絵だ」と気に入り米国で商標登録


アメリカの科学雑誌ScientificAmerican誌に「テレグラフォンで再生された音は非常に明瞭で、蓄音機で聞かれるような不愉快なスクラッチ・ノイズがない」との記事
パリの万国博覧会でデンマークのポールセンが初めて磁気録音機『テレグラフォン』を一般公開し金賞獲得、鋼線を用いた無バイアス録音。「電話の音声を記録するための装置で、不在宅時の録音用に便利」と謳うも「蓄音機よりも音楽の再生・録音に適している」と絶賛される、会場でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が自らの声を録音し、現在も残る最古の磁気記録の一つとなる



1901年

3
エルドリッジ・ジョンソンが『VICTOR』を商標登録


10
3日・グラモフォンの技術者エルドリッジ・ジョンソンとエミール・ベルリナーが『米・ビクター(VICTOR TALKING MACHINE CO.)』設立、蓄音機の製造を開始しニッパー君の絵が商標として使われる


12
このころカナダの発明家レジナルド・フェッセンデンが、無線電話の通信実験に成功
12日・イタリアの技師グリエルモ・マルコーニが、大西洋を越えて3600kmの無線電信の通信に成功



1902年

3

18日・英グラモフォンが、ミラノのオペラ歌手エンリコ・カルーソの最初のレコードを録音



1903年

4
30日・ビクターが、大成功を収めることになる赤いレーベルを使った名演奏家シリーズ(通称・赤盤/片面)の第一弾を、女性歌手エイダ・クロスレーでカーネギーホールで録音


5

27日・ドイツでヴィルヘルム2世のアドバイスのもと、シーメンスとAEGが合併会社として『テレフンケンTELEFUNKEN GmbH'』設立


テレグラフォンを開発したポールセンが渡米し、資本金500万ドルでマサチューセッツ州にアメリカン・テレグラフォン会社を設立。事務会話や電話用としてテレグラフォンの製造を開始、30分間の録音が可能
フランスのオデオン・レコード社が、ドイツの見本市に『両面に録音されたレコード盤』を出展、録音時間が倍増したことなどからこの後各社から続々と両面レコードが発売され、エジソンの円筒式レコードが急激に衰退するきっかけとなる
米・ビクターの技術者が日本に派遣され、伝統芸能などを録音


1904年


米コロムビアがレコード盤4枚を同時に演奏する世界初の『マルチチャンネル方式』の蓄音機を発売、1軸に4枚の盤を垂直装備する方式でマルチチャンネルの可能性を示唆した音響史に残る機器だが、4枚の盤の同期が難しく商業的には失敗
イギリスの科学者ジョン・アンブローズ・フレミングが、2極真空管を発明、エジソンが発見した白熱球のフィラメントから電荷が放出されていることを発見した『エジソン効果』を研究した成果



1905年







1906年

12
24日・無線電話の通信実験に成功していたフェッセンデンが世界初のラジオ放送の実験に成功、マサチューセッツ州ブラントロック局からの放送で、内容はフェッセンデン自身による賛美歌の独唱と聖書の朗読
ドイツで写真電送に成功


アメリカの発明家リー・ドゥ・フォレスト博士(Lee de Forest)が増幅効果を持つ『3極真空管』を発明、小さな電気信号を大きく増幅することが可能となり、フレミングの2極管とともに無線通信はじめ電気科学の世界が大きく前進




1907年



テレグラフォンを開発したデンマークの科学者ヴォルデマール・ポールセンと助手のペダー・O・ペデルセンが磁気録音機の音質向上を目指し『直流(DC)バイアス法』を発明。録音感度の増大、歪みの減少でこれまでよりも良質の録音が可能になり、交流バイアス法が確立されるまでの30年間ほどにわたり磁気録音機の必須の技術となる



1908年



フランスで、3極管の発明者フォレスト博士がエッフェル塔から音楽放送の実験を行う



1909年




日米蓄音器製造株式会社が設立され(場所はは川崎の港町十三番地)、日本で最初の円盤レコード(直径10インチ、78回転片面盤)を製造し、日米蓄音器商会が販売を開始


1910年
明治43年
10


1日・日本初のレコード会社『日本蓄音器商会(前年の日米蓄音器商会を改称)』が東京・京橋区に設立される、資本金35万円。レコード・蓄音機の製造販売を目的としたもので1946年に日本コロムビア・DENONとなる
12

オーストリアのロバート・フォン・リーベンが真空管アンプを開発し特許申請。




日本蓄音器商会が国産第1号の蓄音器『ニッポノホン』など4機種を発売


1911年







1912年
明治45年/大正元年
4
14日・イギリスの豪華客船タイタニック号がニューファンドランド沖で氷山に衝突し、国際遭難信号SOSを打電、海上の船舶に続いて米本土で最初に受信したのはアメリカン・マルコーニ社のデビット・サーノフ(後のRCAビクター会長)で、全世界に再送信して救難活動に貢献

日本蓄音器商会が、日米蓄音機製造株式会社を吸収合併

3極管を発明したフォレスト博士がテレグラフォンを使って初めて増幅器の実験を行う



1913年

10
エジソンが自ら発明した円筒方式の蓄音機から円盤方式に切り替え、史上初のオーディオ界の『フォーマット戦争』が決着




1914年

7

28日・第一次世界大戦勃発


米テレグラフォン社の、タッカートンにある大西洋横断無線局が、ドイツの潜水艦に搭載されたテレグラフォンに軍事情報を送っているとの疑いで米国政府に強制的に差し押さえられる(後に誤りと判明)




1915年

5
7日・英国の客船ルシタニア号がUボートに沈められたことで、前年に続き米テレグラフォン社のセイビルにある大西洋横断無線局が強制差し押さえ、このため当時米海軍もテレグラフォンを14台購入していたがうまく利用できず、この後20年以上にわたり米国の磁気記録開発が滞る原因となる



アームストロングが真空管ラジオを発明




1916年


ウェスティングハウス社の技術者フランク・コンラッドが、自社の軍用受信機の性能評価のため自宅のガレージにアンテナを建て、『8XK』のコールサインで定期的に実験放送を行う、無線愛好家が多数受信し『放送がビジネスになる』との予感が生まれる

日米蓄音器製造株式会社が国産初の蓄音機の製造・販売を開始


米・映画技術者協会SMPTE(Society of Motion Pictures and Television Engineers)設立




1917年







1918年

3


7日・松下幸之助が松下電気器具製作所を創設、大阪市北区(現福島区)の木造2階建ての借家でスタート


1919 年


アメリカでラジオコーポレーション(RCA、Radio Corporation of America)が設立される




1920年
大正9年
11
2日・アメリカで世界最初の放送局が放送開始、WH社の8XK局が正式認可されKDKA局となり、ペンシルバニア州ピッツバーグのから発信、開局日は大統領選挙の開票日で、共和党のハーディング候補の当選を速報、受信機はアマチュア無線家中心に約1万5千台が普及



ウェスタン・エレクトリックがマイクロフォンの原型となる『323W電話用送話器』を導入




1921年


米海軍研究所で、ウェンデル・カールソン(Wendell Carlson)とグレン・カーベンター(Glenn Carpenter)が磁気記録の実験中に偶然『交流バイアス法』を発見。1927年に米国で特許成立したが、雑音低減に主眼が置かれ、磁気録音機の音質改善に利用されることがなかったため一時忘れられる




1922年

7


松下電気器具製作所が順調に2灯用差し込みプラグなど家庭用配線器具の売り上げを伸ばし、本店と工場を建設


イギリス放送会社(現BBC)がラジオの本放送を開始



1923年


3Mのリチャード・G.ドルーが、自動車塗装工場で後のマスキングテープ開発につながるきっかけとなる体験をする




1924年
大正13年

ウエスタン・エレクトリック社が蓄音機の電気吹き込み方式を開発し、H.C.ハリソン名で特許申請 ドイツでbeyerdynamicが創業
本邦初の技術専門誌『無線と実験』創刊



日本のテレビ開発の父・高柳健次郎が浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)の助教授となり、念願のテレビ開発に没頭



江口元太郎が『エレクトレット現象』を発見。高分子材料で強い直流電界をかけつつ冷却凝固すると電界を除いた後も残留電化が持続する現象で、提出した特許はほぼすべての電気音響変換器への応用を網羅した物


1925年
大正14年
2
25日・ウェスタンエレクトリックが実用化した蓄音機の電気録音方式を米コロンビアが『オルソフォニック』と名付けて採用し最初の商業録音を開始。この日はピアニストのアート・ギルハンが録音。ラッパ吹き込みに比べ再生帯域が100Hzから5kHzに伸び、5オクターブ以上広がる

3


1日・日本でラジオの試験放送開始、マイクはウェスタン・エレクトリック社の『323W電話用送話器』
3


22日・午前9時30分、日本初のラジオ放送開始、社団法人東京放送局が、芝浦の高等工芸学校に設置した仮設放送局から中波放送(出力220w)を開始、京田武男アナウンサーが「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」と歴史的な第一声、マイクはWE社の『WE373型』ダブルボタン・マイクロフォン、受信契約数は約3500件
4
米ビクターがコロンビアに続いてウェスタンエレクトリックが実用化した蓄音機の電気録音方式を採用、『ヴィヴァ・トーン』と名付けてレコードの発売開始

6


1日・日本で2番目のラジオ局が大坂で開局、コールサインはJOBK
7


15日・日本で3番目のラジオ局が名古屋で開局、コールサインはJOCK
7


12日・社団法人東京放送局が東京愛宕山の新局舎から本放送を開始、東京放送局初代総裁は後藤新平、出力1kW、1日の放送時間は5時間、受信料は月額1円
12

9日・BASFが当時のドイツ化学工業の中核的存在だった染料企業5社との完全な合同で『I.G.ファルベン(I.G.Farben-industrie Aktiengesellschaft)』を設立し社名変更。世界有数の巨大化学企業が誕生し、10年後に世界初の磁気録音テープを生む基礎となる


3Mが同社で初めての粘着テープ製品である『マスキングテープ』の開発に成功、その後自動車塗装業界から注文が殺到し3Mが粘着テープ業界に進出するきっかけとなる
イギリスのベアードが、初めて有線によるテレビジョンの電送に成功


シドニー.N.シュアーが『シュアー・ラジオ・カンパニー』設立、後のMMカートリッジとプロ用マイクの名門SHURE ドイツの発明家スティーレ博士らが、口述録音機と電話録音機を結びつけた新装置を発売、


ゼネラルエレクトリックのスケネクタデー研究所で、ライス(C.W.Rice)とケロッグ(E.W.kellogg)が現代のスピーカーの基本原理を確立したダイナミック(ムービングコイル)型コーンスピーカーを開発




1926年

8


20日・放送事業の全国組織体を作る目的で、前年に開局した東京・大阪・名古屋の別企業体だった3局を統合して『社団法人日本放送協会(現NHK)』が設立される

アメリカの48のラジオ局を統合し『NBC(ナショナル放送会社)』のネットワーク局が出現、この後CBSとの2大ネットワークで音楽が流され、結果的にレコード売上に貢献したことからレコード会社が放送局に積極的にレコードを売り込むことになる

八木博士が『八木アンテナ』を発明

ウェスタン・エレクトリックが当時本格的になり始めたトーキー映画(ヴァイタフォン)のための映画館用の音響システムを開発、『555W』という中高域用のドライバーと開口部1.5mの大型ホーン15Aによるスピーカーシステムで歴史に残る名機とされる

高柳健次郎が機械式円盤で「イ」の文字を撮像・伝送・ブラウン管を用いた受像に成功し、日本初のテレビ映像実験に成功

アメリカのウェンデル・.カールソンが1921年に発見した『交流バイアス法』を特許申請、翌1927年に成立するがしばらく実用化にいたらず。当時米国では無線電信受信技術として認識されていたため、1938年の日本の『永井特許』が磁気録音用として認められることになる




1927年
磁気テープが発明される
昭和2年
4


松下電気器具製作所が新型のランプを開発し『ナショナルランプ』と命名して大ヒット、初めて“ナショナル”の商標を使用する
8


13日・社団法人日本放送協会(現NHK)が日本初のスポーツ実況中継、甲子園から全国中等学校優勝野球大会を放送
9
23日・ワーナーのムービートーン初の長編劇映画、F.W.ムルナウ監督の『サンライズ』がニューヨークのタイムズ・スクエア劇場で公開される、初の音声付き劇映画だったが、リップシンクはできておらずトーキーではないとされる


10
6日・世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』がニューヨークのワーナー劇場で公開、フィルムにヴァイタフォンを同期させたもの、部分的ながらも『長編初のトーキー』で、映画のできも良く全米最終興収300万ドルの記録的な大ヒットとなる



アメリカでカールソン(W.L.carlson)とカーペンター(G.W.Carpenter)が、鋼線式録音機の交流バイアスの特許を取得

日本蓄音器商会(のちの日本コロムビア)が、国内プレスによる『コロムビア洋楽レコード(黒盤)』を発売

アメリカのジョセフ・オニールが鋼線ワイヤーや鋼帯に代わる『テープに鋼鉄粉や磁性体を塗布』するアイデアを提案し米国で特許を取得。
ドレスデン在住のオーストリア人科学者フリッツ・フロイメルが、粉末状にした磁性粒子を軽い紙テープ(幅16mm)に塗布した物を開発、鋼帯に代わる磁気録音の大きな技術革新の一つ 米ビクタートーキングマシンの子会社として、レコード会社・日本ビクター蓄音器株式会社が設立、後のJVC

アメリカで2つめのネットワーク『CBS(コロンビア放送網)』が設立される

日本蓄音器商会(のちの日本コロムビア)が、『イーグル蓄音機』を発売


1928年
フリッツ・フロイメル博士が世界初の“テープレコーダー”を発明

7
6日・初のオールトーキー映画『ニューヨークの灯(Lights of NewYork)』公開、ヴァイタフォン方式の長編映画としては4作目


9
パラマウントが世界初のムービートーン方式の長編映画『人生の乞食』を公開、部分トーキーながらディスク式のヴァイタフォンではなく、ウェスタン・エレクトリック社開発のフィルムに濃淡で音声を記録する光学サウンド方式


11


1日・社団法人日本放送協会(現NHK)がラジオ体操の放送を開始
11


社団法人日本放送協会(現NHK)が東京、大阪、名古屋、北海道、東北、中国、九州を含めた有線の全国通信網を完成させる


ドレスデン在住のオーストリア人科学者フリッツ・フロイメル(Fritz Pfleumer)博士が世界初の“磁気録音テープとテープレコーダー”『サウンド・ペーパー・マシン』を完成させる。前年発明した技術を応用し、細長い紙に鋼鉄の微粒子を塗布したテープを使用するが荒い磁性粉と塗布のムラなどで音質はいまいち。磁性体の塗布強度も低く、録音・再生時に磁気ヘッドとこすれて盛大に磁性粉をまき散らしたため『サンド・ペーパー・マシン』と揶揄される
社団法人日本放送協会(現NHK)が初めて大相撲を両国国技館から放送


フロイメル博士が紙テープに磁性粒子を塗布する特許をドイツで取得。前年の米・オニールの特許と類似の物。ドイツでテープレコーダー開発が進むきっかけとなる



ドイツのゲオルグ・ノイマン博士が、独自のコンデンサーマイク製造会社を設立、最初のモデルはCMV3



1929年

11
エジソンがレコード事業から撤退、同時に円筒型の蓄音機ソフトの供給も停止



RCAがビクタートーキングマシンを買収してRCAビクターを設立しレコードビジネスに参入



フィラデルフィア管弦楽団を率いるストコフスキーがベル研究所のフレッチャー音響物理研究部長に放送設備の音質改善を依頼、ベル研究所が音響研究を進める基礎となる
英国のブラットナ映画社が、トーキー映画用に従来のディスクに代わる鋼帯録音機『ブラットナフォン(Blattnerphone)』を開発、その後ラジオ用にも利用


1930年

6


1日・社団法人日本放送協会(現NHK)が技術研究所を設置し、テレビジョンの研究を開始

RCAビクターが長時間レコード『プログラム・トランスクリプション・レコード』を開発、円盤の直径は30cmで回転数は33 1/3rpm、録音時間は片面15分だが、極端に寿命が短く4年後に市場から姿を消す
英BBCが初めて鋼帯録音機『プラットナフォン』を放送に利用、世界中への放送や、リハーサル直後の再生、また大事な演説やニュースの保存に活用



1931年
昭和6年
4


6日・社団法人日本放送協会(現NHK)が、東京でラジオ第2放送を開始
7


日本蓄音器商会(のちの日本コロムビア)が、米・Cormbiaから『コロムビア』の商標を譲り受け、現在の二連音符のマークを正式商標として全商品に統一使用開始


独AEG社がフロイメル博士の磁気録音機のすべての特許購入を決め、“テープレコーダー”の本格的な研究開発を開始。磁気テープはドイツの巨大化学企業I.G.ファルベン(現BASF)が担当し、ルートヴィヒスハーフェンの工場で開発が進められる。磁性体には当時大量生産していたカルボニル鉄粉を採用 松下電気器が初の自社開発のラジオを販売、


英・コロムビアと英・グラモフォンが合併して世界最大のレコードレーベル『EMI』を設立 東北大学の通信工学の専門家・永井健三博士が、信号の伝達を一時的に遅らせる遅延装置に応用できないかと磁気記録の研究を始める、永井博士は日本の磁気録音の父と呼べる存在


英EMIの録音エンジニア、アラン・ブルムラインが1本の音溝の左右の壁にステレオの左右の信号を録音する『45/45』のアイデアを考案し、ステレオの未来を予感させるアイデアで後に特許申請


1932年
昭和7年
1

1日・英BBCがプラットナフォンを改良したマルコーニ社の鋼帯式磁気録音『マルコニ・スティーレ録音機』で録音された、ジョージ5世の放送を行う



AEGとI.G.ファルベンとの間で、テープ式敷録音システムの共同開発に関する契約が締結され、世界で初めてのオープンリールテープレコーダ開発が開始される

11

末・I.G.ファルベンがルートヴィヒスハーフェン工場(BASF)で磁気テープ生産の予備実験開始、
NHKがフィルム録音で、初めて録音放送を行う



NHK技術研究所の丸毛登と星佶兵衛が純国産のマイクロフォン『MHマイクロフォン』を開発



東北大学で永井教授の下、五十嵐悌二氏が磁気記録の研究を始める、唯一の参考書がポールセンの論文一冊という手探りの状態からスタート


1933年

1

30日・ドイツで前年の総選挙で第一党となったアドルフ・ヒトラー率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が政権を樹立

4
27日・ベル研究所がフィラデルフィアとワシントンを電話回線で結んだ歴史的な『立体音楽(ステレオ・3元立体再生)中継実験』を行う、ストコフスキー指揮するフィラデルフィア管弦楽団の演奏を新開発のムービング・コイル型マイク3本で収録し3台のアンプとスピーカーで再生、マイク・回線ともに周波数特性10kHzをカバーし再現された音は豊かな臨場感を得た、スポンサーはAT&T



米ビクターが蓄音機の電気吹き込み方式の名称をヴィヴァ・トーンから『ハイ・フィデリティ・レコーディング』に変更
ドイツのローレンツ社が、スティルらが開発した口述録音機と電話録音機を結びつけた磁気記録装置の改良型を発売
高柳博士が世界初のテレビ画像「イ」の文字の伝送実験に成功


アドルフ・ヒトラーが尋問や電話の会話記録に使用するため、ゲシュタポにローレンツ社の磁気記録装置を大量に購入させる
東北大学電気試験所が磁気録音の研究を開始


1934年
昭和9年
1


写真フィルム製造の国産工業化計画に基づき、大日本セルロイド株式会社の写真フィルム部の事業を分離して『富士写真フイルム株式会社』を設立
3


東北大学で磁気記録の研究を行っていた五十嵐悌二氏が実用化を図るため安立電気に入社


I.G.ファルベン(現BASF)が録音テープ用の紙に変わる新しいベース材料としてアセテートを実験し、15種類ほどの中からバイエルのドルマゲン工場で生産された粘着性のあるツェリットL(Cellit L)と呼ばれるセルロース・アセテートフィルムを採用、それまでの紙に変わって世界で初めてプラスチックベースを使った磁気録音媒体で、オープンリールテープの原型
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I.G.ファルベン(現BASF)がオープンリールテープの本格生産を決定し、翌月、最初の1万メートルをAEGに納入
8

AEGとI.G.ファルベン(現BASF)がテープレコーダーの開発目標として、当時1m/sのテープスピードを50 or 30 cm/sに、高域録音周波数を8〜9kHzまで伸ばすことを策定

8

AEGとI.G.ファルベン(現BASF)が17日からのベルリンの放送展に世界初のテープレコーダーとしてマグネトフォンを出品予定だったが、直前の1週間前に駆動系や増幅器に不具合が見つかり急遽発表をキャンセル。複雑な巻き戻し機構が原因で、巻き戻し操作時にしばしばテープが断裂するという致命的な症状だったため


AEGとI.G.ファルベン(現BASF)が開発中の磁気蓄音機を「Magnetophon(マグネトフォン)」と命名



I.G.ファルベン(現BASF)の物理学者エルヴィン・レーラーが磁性材料のテスト中に交流バイアスを試すもうまく動作せず
東北大学が磁気テープの研究を開始


1935年
オープンリールテープレコーダーが完成

4


15日・社団法人日本放送協会(現NHK)が学校放送の全国放送を開始


ドイツのローレンツ社が鋼帯式磁気録音機を製作、周波数特性、ダイナミックレンジが向上し、ヨーロッパの多くの放送局が放送用に使用、大きさも機構も使いやすく、原理的機構や機能の構成の完成度が高く『磁気録音機』の原型となる

8

16日・独AEGが第12回ベルリンの放送展で、フロイメル博士の技術を元に開発した世界初のテープレコーダー『マグネトフォン(Magnetophon K-1)』を初めて一般公開。現在のオープンリールテープの原型となる画期的な製品が初めて一般の人々の前に姿を現す。同時にI.G.ファルベン(現BASF)が開発したアセテートベースのテープに酸化鉄を塗布した磁気録音テープ『マグネトフォン・バンド(Magnetphon Band)Typ C』も発表。テープ幅は6.5mm、厚さ50μ、長さ1500m、テープスピードは1m/s、リール直径25cmで録音時間約25分、鋼線や鋼帯に比べて性能は劣ったが価格は1/7で、掛け替えや編集・保管も容易なことから好評を得る

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7日・日本で発明された磁性材料であるフェライトを世界で初めて工業化する目的で、齊藤憲三が東京市芝区田村町に東京電気化学工業株式会社(後のTDK)を設立、資本金2万円

エンパイヤーステートビルの送信アンテナから世界初となるFM実験放送の電波送信を開始
英・マルコーニ社が鋼帯式磁気録音機『マルコーニ・スティーレMSR-3』を開発。幅3mm、厚さ0.08mm、長さ3000mのタングステン鋼の鋼帯を使い、テープスピード1.5m/sで録音時間は約30分。周波数特性は50-6000Hz、巻き取りリールの直径は60cmで装置の総重量は約1トン
安立電気や日本電気で軍事用の鋼帯式録音機が製作される



浜松高等工業学校の高柳教授がアイコノスコープの試作に成功し、テレビの実用化が大きく前進



松下電器が高柳教授の指導を受けてテレビジョンの研究を開始


1936年



I.G.ファルベン(現BASF)がテープの磁性材料をカルボニル鉄粉からマグネタイト(黒色酸化鉄)に変更し、より高い保磁力と残留磁束密度を得ることに成功

8

ベルリンオリンピックで、テレフンケンが開発した電子テレビカメラ『アイコノスコープ(IKONOSKOP)』が初めて使用される
11日・ベルリンオリンピック女子200メートル平泳ぎで前畑秀子選手が日本女子初の金メダルを獲得、「前畑がんばれ!」の歴史的実況
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19日・サー・トーマス・ビーチャム卿率いるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の欧州演奏会で、BASF本社工場があったルートヴィヒスハーフェンでの公演をマグネトフォンで録音。世界初のマグネトフォンによる公開録音で、録音は現在でも残るが音質は当時のレコードにおよばず失敗。このせいでビーチャム卿が磁気録音機嫌いになる。マグネトフォンの1936年バージョンの性能は周波数特性50Hz〜5kHz、ダイナミックレンジ40dB未満、当時はまだ直流バイアスを使用

RCAがテレビの試験放送を開始
独AEGが磁気録音機『マグネトフォン(Magnetophon)』を発売、大戦中に軍事、警察、放送に広く使われる
ベルリンオリンピックに派遣されたNHKの技術職員が、帰国の際ロンドンに立ち寄りマルコーニ社製の鋼帯式録音機を購入、テープ幅3mm、テープスピードは1.2m/s、録音時間は約30分






1937年


SHUREがレコード用カートリッジの生産を開始、
独AEGが『マグネトフォンK-3(Magnetophon K-3)』を開発 高柳健次郎がNHK技術研究所に移り、テレビジョン開発を進める


独beyerdynamicが世界初のダイナミック型ヘッドホン『DT48』を発売
東京電気(現・東芝)が国産初のベロシティマイク『A型』を開発、終戦の詔勅の放送にも使用された名機


1938年
昭和13年



東北大学で磁気記録の研究をしていた永井健三博士のグループが、磁気録音機の発達における最も貢献した技術の一つ『交流バイアス法(ACバイアス、高周波バイアス法)』を発明。録音用回路の異常で発信を起こし多量の高周波電流が録音ヘッドに流れた時の現象がきっかけ
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東北大学の永井健三博士が、安立電気(五十嵐悌二、石川誠)と連名で『交流バイアス法』の特許を出願し1940年に成立、特許第136997号「交流ヲ『バイアス』トセル磁気録音方式」、のちに米・英・独にも特許出願
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8日・NECと住友グループが株主となって、通信機用材料の国産化を目指した国策会社『日本特殊金属株式会社』を創業、同年9月に東北金属工業を吸収合併し『東北金属工業』に社名変更


独AEGが、マグネトフォンK-1を大幅に改良した『マグネトフォンK-4』を開発し、世界で初めてテープレコーダーの量産体制に入る、第二次大戦初期の1939年にはドイツのほとんどの放送局に配備され、ナチスのプロパガンダ放送に利用 松下電器の子会社松下無線・東京研究所で12インチブラウン管を使用したテレビの試作品が完成



東京電気と芝浦製作所が合併し『東京芝浦電気(東芝)』設立



米国製ダイナミックスピーカーに惹かれた松本望が福音商会電機製作所を設立し、自らスピーカーユニットの製造に乗り出す。ブランド名を『パイオニア』とし、後のオーディオ御三家の一つとなる


1939年
昭和14年
5


松下電器が日本放送協会の技術研究所と東京放送会館との無線伝送実験に成功
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松下電器が特許陳列館で開催された電気発明展覧会にテレビ受像器を出展し、初めて一般公開
8


19日・NHK東京放送が日本橋三越でテレビの放送実験を一般公開
9

1日・ナチスドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発


ベル研究所のニューヨークの世界博覧会にエンドレスループ式の磁気録音機『ミロフォン』を発表。ディーン・ウールドリッジ(Dean E.Wooldridge)の研究による『交流バイアス法』が使用されており、この年特許出願。(1941年に成立)
I.G.ファルベン(現BASF)が磁性材料にガンマ酸化鉄を採用、1971年に二酸化クロムが登場するまでほとんどの磁気テープで使用される
日本蓄音器商会(のちの日本コロムビア)が、国産テレビ受像器を完成させ、高島屋で公開


ドイツ帝国ラジオ協会(RRG:Reichs-Rundfunk-Gesellschaft)のエンジニアであるウォルター・ウェーバー(Walter Weber)がマグネトフォンの音質改善の研究のための直流バイアスの実験中に、まちがって交流が流れたことで偶然交流バイアス方式を発見。翌年までに交流バイアス法を確立し、ドイツで特許申請 NHK技術研究所で高柳健次郎が走査線441本、画像枚数毎秒30枚のテレビを完成し、日本初のテレビジョン放送公開実験に成功、1940年開催予定の東京オリンピックでの中継を目標に開発を進める


1940年

7

ドイツ帝国ラジオ協会のエンジニアであるウォルター・ウェーバーが前縁に発見した『交流バイアス法』のドイツ特許を申請。すぐにAEGがマグネトフォンへの導入準備を始める
11
13日・ウォルトディズニーのアニメーション映画『ファンタジア』公開




NHKが安井電気製のワイヤーレコーダーを20台ほど購入し各地の中央放送局に配備するも、録音特性が悪く、ワイヤーの直径が0.2mmですぐに切れるのであまり活用されず






1941年

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10日・ベルリンでAEGとRRGがマスコミ向けに交流バイアス回路を搭載したマグネトフォンのデモンストレーションを行う、周波数特性が10kHzまで伸び、ダイナミックレンジは60dBまで拡大して飛躍的に音質が向上

9

24日・AEGがシーメンスの持つテレフンケンの株式を引き継ぎ、テレフンケンがAEGの100%子会社となる

12


8日・帝国海軍が真珠湾を奇襲攻撃し太平洋戦争が勃発

米イリノイ工科大学・アーマー研究所のマービン・カムラス(Marvin Camras)がベル研究所の『交流バイアス法』の特許を譲り受け、技術改良を進める。のちに『カムラス特許』として磁気録音の分野において大きな力を発揮する



米アーマー研究所の海軍向けワイヤーレコーダーにマービン・カムラスの交流バイアスが搭載される




1942年
昭和17年
8


日本蓄音器商会が社名を『日蓄工業株式会社』に変更


独AEGが、マグネトフォンに交流バイアス方式を採用し、放送で使用開始。音質や性能が格段に向上し、当時としては非常に高音質な録音放送が欧州全域に流される。当時昼夜を問わず放送されていたナチスのプロパガンダ放送を傍受した連合国側は生放送だと思い込みヒトラーを「不眠の怪物」と錯覚、放送局を爆撃するも成果は上がらず
また、イギリスでドイツの放送を聞いた連合軍は「ベルリンフィルは夜中でも演奏するのか」と驚いたという話はあまりにも有名



1943年

2

I.G.ファルベンを構成していたAGFAがマグネトフォンバンドTypCの製造テストを行いサンプルを送付
日本電気が社名を『住友通信工業株式会社』に変更(2年後に戻す)
4


30日・『社団法人日本蓄音機レコード文化協会(現在の日本レコード協会)』が設立
7

29日・I.G.ファルベン(現BASF)のルートヴィヒスハーフェンのテープ工場で爆発事故が発生、工場のテープ製造機器に大きな被害が出る

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ドイツのI.G.ファルベン(現BASF)が、マグネトフォン用の第二世代磁気テープ『TypL』を開発、TypCよりS/N比を10dB改善し、ベース材料をアセテートからPVC(ポリ塩化ビニール)に変更

米国政府の国防研究委員会が3Mに「磁性酸化物をアセテートフィルムに塗布し、長さ1マイル(約1.6km)で幅1/4インチに細く切断したフィルムが製造できるか?」と問い合わせ




1944年

11
1日・ロシア人発明家のアレクサンダー・マシュー・ポニャトフがカリフォルニア州サンカルロスにAMPEXを設立



アメリカでマービン・カムラスが交流バイアス法の特許を申請
AGFAのヴォルフェンにある磁気テープ工場が本格稼働しテープ生産を開始(後のOrwoの工場)



英・デッカ社が軍事利用を目的とした『ffrr(Full Frequency Range Recording)』を発表、再生帯域は30Hzから12kHzを確保



1945年



独I.G.ファルベン(現BASF)が、マグネトフォン用の第三世代磁気テープ『Typ LG/LGN』発表


I.G.ファルベン(現BASF)のルートヴィヒスハーフェン工場が連合軍の空襲を避けるため、オーストリア国境に近いバイエルン州Gendorfに製造機器を移転

3

下旬・I.G.ファルベン(現BASF)のルートヴィヒスハーフェン工場が米軍に占領され、米軍政府の管理下に置かれる、本工場の連合軍による爆撃の被害は全体の2/3にも及んだ
5

ドイツが無条件降伏、欧州戦線の戦火がやむ

7

I.G.ファルベン(現BASF)のルートヴィヒスハーフェン工場が、占領地区の再編に伴い仏軍政府の管理下に置かれる
7

AGFAのヴォルフェン工場から米軍が撤退し、ソ連占領軍に接収される。この後本工場で生産される磁気テープが『ORWO(Original Wolfen=日本語で元祖ヴォルフェンの意)』ブランドになる、同工場は1936年に発色剤を用いた最初の近代的なカラーフィルム『AGFA COLOR』を開発した歴史ある工場
8


15日・日本がポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦が終結
10


井深大らがSONYの前身となる東京通信研究所を設立、事務所は日本橋白木屋の三階、最初の商品は低周波ラジオに接続して短波放送が聴けるコンバーター『普四(ナミヨン)』、また『真空管電圧計』が官需を中心に売れて経営が安定
11


2年前に住友通信工業に社名変更した日本電気が、再び『日本電気株式会社(NEC)』に社名を戻す

終戦処理のためドイツに駐留していた米陸軍通信隊の技術将校ジャック・マーリンがフランクフルトのラジオ局で初めて交流バイアスを搭載したAEG/RRGマグネトフォンのスタジオレコーダー(K4HTS?)を試聴しその性能に驚愕。マグネトォンK4HTSはテープ厚50μ、テープスピード77cm/s、テープ長1000m、録音時間は20分
I.G.ファルベン(現BASF)の Gendorf工場が米軍の占領下に入り、『Gendon』ブランドの磁気テープを製造(1956年に操業停止)

ドイツのマグネトフォンと録音テープに関する詳細なリポート(PBリポート・Office of Publications Board Report)が連合軍調査団によって公開され「卓越した音質、非常に低いノイズ」と報告、ドイツの特許は敗戦により放棄され無償公開された、以後アメリカの有名メーカーが一斉に磁気録音分野の研究を開始
チューリヒ工科大学のフリッツ・ゼンハイザー博士が、ドイツのハノーバーにゼンハイザー社を設立

Signal Corp.所属のJ.H.OrrがWald Michelbach/BASF工場を調査、帰国後にORRADIO Industriesを創設し、Irishテープを生産のきっかけとなる



ベル研究所の音響物理研究部長フレッチャー博士が、これまでの実験結果や調査からオーディオの『ハイフィデリティ(高忠実度)』の概念を確立、雑音レベル、ダイナミックレンジ、歪み率、周波数特性、音の定位の5つの条件を満足するものとし、のちに『ハイファイ(Hi-Fi)』の言葉で広がる




1946年
昭和21年
4


1942年に日蓄に社名変更した日本蓄音器商会が、社名を『日本コロムビア株式会社』に変更
5 16日・米陸軍通信隊の技術将校ジャック・マーリンが、ドイツで入手したマグネトフォンを徹底分析して改良を加えた『マグネトフォンシステム』を完成させ、サンフランシスコで開催されたIRE(現IEEE)の分科会で試聴会を開催、テープ幅はマグネトフォンの6.5cmから1/4インチ(6.35mm)、テープスピードは77cm/sから毎秒30インチ(76.2cm/s)に変更、AMPEXのハロルド・リンゼイが関心を寄せプロ用テープレコーダーを、3Mは磁気録音テープの研究開発に着手

5
2日・アンペックス電気株式会社(Ampex ElectricCorporation )を設立

7日・東京都中央区日本橋にSONYの前身である東京通信工業株式会社設立、資本金19万円、従業員30名でスタート

スピーカー設計の鬼才ジェームズ.B.ランシングがJBLを設立
終戦後、I.G.ファルベン(現BASF)の技術者がルートヴィヒスハーフェンの磁気テープ工場再建に乗り出す
日本蓄音器商会が、社名を『日本コロムビア株式会社に変更』


1947年
昭和22年
2


東京通信工業が本社及び工場を品川区に移転

米ブラッシュ(Brush)社が世界初の家庭用テープレコーダー『サウンドミラーBK-401』発表、設計したポーランド人技術者S.J.ビーガンは戦前にロレンツ社で鋼帯録音機を設計しており、本機はマグネトフォンから直接的な影響を受けていないモデル、このとき巻取り用に8ミリ映画用のリール(シネスプール)を使ったことから後にRMA規格となって定着



3MのW.W.ウェッツェルを中心としたプロジェクトチームが、紙ベースにブラック・オキサイドを塗布した磁気テープ『♯100』を完成、ドイツ製に比べ出力が大きく、高域の周波数特性も数段進歩した画期的な製品、ブラッシュ社のBK-401に使われる


10
人気歌手のピング・クロスビーがABCラジオのショー番組フィルコ・アワーで、メジャーなラジオ番組の中で初めて『磁気録音機を使った録音放送』を行い大成功を収める。このとき使われたテープは3MのScotch♯100。以後番組をテープレコーダーで録音し放送する新たなスタイルが定着

10
AMPEXが初の米国製テープレコーダー『Model 200』を発表、仕様は1/4インチ幅テープ14号リール、テープ速度30in/s(76.2cm/s)、録音時間36分、周波数特性30Hz-15khz±1dB、S/N比は≧60dB



マービン・カムラスが磁性材料に関する特許を確立、保磁力の大きいテープ製造のための針状の磁性材料製造法で「ゲータイトを作って針状のガンマヘマタイトをつくる」というものだが、1959年に特許無効となる ウィーンで物理学者のラドルフ・ゲリケ博士とエンジニアのアーンスト・プレス氏が音響機器メーカー『AKG』を設立。ブランド名は「Akustische und Kino-Graete Gessellschaft m.b.H(英訳:Acoustic and CinemaEquipment)」のドイツ語の頭文字から



1948年


3Mがアセテートベースに新しい酸化鉄を用いた磁気テープ『Scotch#111』を発売、従来の白い紙に黒の磁性体を塗ったものではなく、透明なアセテート・フィルムに茶色の磁性体(酸化鉄)を塗ったものになり、業務用・家庭用を問わず長く世界の標準テープとして使われる傑作テープとなる


4
24日・AMPEXが最初のテープレコーダー『Model 200』を全米のラジオ放送局に納入開始、200型は最終的に112台出荷される


6
21日・ニューヨークの最上級ホテル、ウォードルフ・アストリアでCBS研究所と米コロムビア・レコードがSPに続く新しいレコード規格『LP(Long Playing Record)』発表、優れた音質と切れ目無く聞くことができる音楽、割れにくい塩化ビニール製の盤、そして省スペース性は大きな反響を呼び大成功を収める




独AEGが戦後初めて『マグネトフォンK-8』を開発しマグネトフォンの再生産を開始、マグネトフォンは後に傘下のテレフンケン・ブランドで発売
東京通信工業の井深大がGHQ内のCIE(民間情報教育局)に放送会館の第六スタジオ改修依頼を受け、工事中に米国製のテープレコーダー(たぶんウェブスター社製)を見せてもらい、その音質に感動してテープレコーダーの自社開発を決意


東ドイツのソ連の管理下にあったAGFAのWolfen工場から技術者と作業員が西側に脱出し、I.G.ファルベンを構成していた化学メーカーの一つバイエルの本社があるレバークーゼンに磁気テープの新工場を建設
東京渋谷に信濃音響研究所設立、後のフォスター電機、1973年にフォステクス(FOSTEX)社を設立


ドイツのAGFAが、同社ブランド初の磁気テープ『Agfa F』を発売



このころドイツ放送局がBASFに「磁気テープの中心的・典型的な特性を持ったテープの供給」を依頼したことから、世界で初めてオープンリールテープの公式な『リファレンステープ』が製造される。またこれより少し後に『キャリブレーション・テープ』も作成され、レコーダーの互換性が保たれるようになる。キャリブレーションテープ無しには、録音済みのテープを他のテープレコーダーで適切な周波数で再生することは不可能であることが、ドイツの技術者らによって初めて確認された。それまでは各放送局で自家製のキャリブレーションテープで番組交換に使用していた



1949年

6


NHKが初めてテープレコーダーを使用
9


東京通信工業(現SONY)が独自に開発したテープレコーダーの試作機が完成

AMPEXが名機として広く使われることになるテープレコーダーの名機『Model 300-C』を発売、ラジオのキー局からローカル局に至るまで採用され、レコード会社は本機で前年に発売されたLPレコードの多くのマスターテープ作成した。当初の価格は1500ドル、メカニズムは3モーター、3ヘッド式でテープ録音機の基本形となる、このとき採用した外形10.5inchの金属リールが後にNAB規格となりプロ用リールとして定着(現10号メタルNUB HUBリール)、当時の価格は米国で1500ドル、
ドイツの化学企業共同体I.G.ファルベンを構成していたBASF社が、I.G.ファルベン解体を受けて、同社ブランド初の磁気テープとしてマグネトフォン用磁気テープ『Typ LG/LGN』の生産開始


世界初のオーバーダビング録音のレコードを作ったギタリストのレス・ポールがAMPEXの『Model 300』を高く評価し、本機を使って多重録音による音楽製作を開始



アメリカのNAB(National Association of Broadcasters)が互換性をはかるためテープレコーダーと磁気テープに関する『NAB規格』を制定、テープスピードは第一標準を38,1cm/s、第二標準を19.05cm/s、補用として76.2cm/s、テープ幅は0.244inc〜1/4inch



米RCAビクターがコロンビアのLPに続く新しいレコード規格『EP(Extended PlayingRecord)』発表、回転数45rpm、ディスク直径は17.5cm、中心には自動演奏用の大きな穴があり『ドーナツ盤』とも呼ばれる




1950年

1


東京通信工業が日本初の本格的テープレコーダー『G1型』を完成
1


東京通信工業が本州製紙に依頼していた紙をベースにした100ポンド弱の試作のテープが完成
3
1日 アラバマ州のラジオ技術者ジョン・ハーバート・オー氏(John Orr)が、オペライカに『ORRADIO Industries,Inc.』を設立し、プラスチックベースに酸化鉄を塗布したオープンリールテープの生産を開始。最初の型番は『211RPA』で7号リール1200ftを一日当たり125巻生産。

東京通信工業(現SONY)が独自開発した日本初の磁気録音テープ『SONI-TAPE』発売、ブラック・マグネタイトを塗布した紙ベースのテープで『KA-5』『KA-7』『KA-10』の3種
6


1日・放送法に基づく『日本放送協会(NHK)』が設立される
6


東京通信工業が本格的なテープ製造機を開発、ベースの取り付け・塗布の調整・乾燥・巻き取りを一人で1カ所で操作できるもので、クラフト紙ベースの磁気テープを1日で10号リール20〜30巻製造可能になる
6


25日・午前4時、北朝鮮軍が38度線を越えて砲撃を開始し朝鮮戦争が勃発
8


東京通信工業が日本初のテープレコーダー『テープコーダーG型』を発売、GはGavermentの意、総重量は45kg、性能は絶賛されたものの価格は16万円と高価で数ヶ月全く売れず
11

6日・AFP通信がパリー東京間の無線テレタイプの受信実験に成功
11日・NHKラジオ『ラジオ喫茶室』放送開始
11


NHKが初のテレビ実験放送開始、出力30w

ベル研究所がゲルマニウム・トランジスタを開発 独BASFが、同社初の家庭用録音テープ『LGH』の生産を開始、末尾のHは「hochempfindlich」または「高感度」を表す、PVCベースでテープ厚は63μ 八雲産業の倉橋正雄が、東京通信工業の『G型』を50台仕入れて裁判所などに納入、民間で最初に購入したのは東京八重洲口のおでん屋で、客寄せに使用

米RCAビクターがLPレコードを発売開始、ビクターのレコード売上のスター、指揮者のアルトール・トスカニーニが、EPでは自分の演奏が分割されるのに我慢がならず、LPの採用を強く進言したとされる
独AGFAが同社初の家庭用の磁気テープ『FS』を発売、アセテートベースで、テープ厚は50μ
NHKが米国製Magnecorderを放送用に導入

アメリカレコード協会(RIAA)がステレオレコードの規格協議会を設置、新ステレオレコードの規格統一と従来のモノラルレコードとの互換性が必須条件と採択

東北金属工業が株主のNECと磁気録音テープ製造に関する契約を結び研究を開始。

Reeves Soundcraft社が磁気録音テープの製造を開始
蘭・フィリップスが、ポータブル・テープレコーダー『TR-1』を発売
日本電気音響(DENON)が、同社初のオープンリールテープレコーダー『R25-B型』発売、普及型携帯機、






1951年
昭和26年
3


東京通信工業が初の本格的普及型テープレコーダー『H型』を発表、HはHomeの意、テープ速度は19.05cm/s、1モーター、周波数特性は100Hz〜7000Hz、S/N比は紙テープで30〜35dB、重さ13kg、価格は8万4000円、デザインは柳宗理氏で東通工が初めて工業デザイナーに依頼した作品、
3


NHK調整課に、不二音響で長年研究の末に開発した電池式の携帯用テープレコーダーが持ち込まれる、その場に呼ばれた藤倉修一アナウンサーは一目でこの録音機の可能性を確信し、以後自分の愛機として常に持ち歩いた
3


日本コロムビアが国産初のLPレコード(洋盤)を発売
6
RemingtonRand社が商用コンピュータ『UNIVACI』の付属入出力装置としてメタルテープを使用した世界初の磁気テープ装置を開発


8


東京電気化学(TDK)が、東京工業大学の星野助教授の指導を仰ぎ、東京目黒研究所で磁気録音テープの開発に着手。
9


サンフランシスコ講和条約が締結
9


ラジオの民間放送開始
10


5日・NHKのテレビ放送始まる

NAB規格でテープ幅:を『≦0.250インチ(6.35mm)≧0.244インチ(6.20mm)』に制定(1965年に変更)
スイスのKudelski社のステファン・クデルスキーがポータブル・テープレコーダー『NAGRA I(ナグラ-1型)』を発売
NHKがAMPEXの据え置き型テープレコーダー『300C』を1台購入、後のNHKSTシリーズの据え置き型となり、SONY(ST-11型/BS-1、952年)とDENON(ST-14B型/R-25-P2,、1953年)によって国産化された、いわゆる和製アンペックス、俗称ジャンペックス

Reeves Soundcraft社が酸化鉄を塗布したプラスチックベースの録音テープを発売
スイスのウィリー・スチューダーが業務用テープレコーダーを開発し後に『STUDER』ブランドで業務用機材業界に進出、マルチトラックレコーダー開発の先駆者となりレコーディングスタジオの標準機器となる
東京通信工業(現SONY)が初の携帯型テープレコーダー『M-1』発売、ゼンマイ駆動で放送局の街頭録音に活躍し、後に毎日新聞に連載されていた横山隆一の漫画デンスケに登場したことから、ポータブルレコーダーを『デンスケ』と呼ぶようになる

米コロムビア・レコードが、LPレコードを発売し、ソフトの棲み分けもできたことからLP vs EPののフォーマット戦争はあっけなく終結

磁気録音のバイアス特許問題が発生

3Mがピング・クロスビーの番組のためにモノクロ録画用ビデオテープを開発

大日本セロハンが国産初の防湿セロファン(塩化ビニル系)を工業化



日本初のカラー映画(総天然色)『カルメン故郷に帰る(松竹)』公開、使用フィルムはフジカラー



このころ放送作家の三木鶏郎氏がSONYのG型を購入し、自らのラジオ番組の制作・収録に使用、現在でも当時の音源が多くが残されており聞くことができる


1952年
昭和27年
1

30日・ドイツでI.G.ファルベン解体手続きが進む中、BASFが再び社名を元に戻し設立される、資本金はわずか10万マルク
23日・NHKが初の『国会中継』放送
1


29日・八木アンテナが設立され、テレビアンテナの製造開始
3


15日・駐留軍放送が『FEN(極東放送網)』に名称変更
3


東京通信工業がH型に続いてさらに低価格の『P型』を発売、テープ速度は19.05cm/sと9.5cm/sで75000円、P-1型はフルトラック、P-2型はハーフトラック録音、
3


NHKが1946年にアメリカで開発された撮像管『イメージオルシコン』を搭載したカメラを初めて使用
5
IBMが同社初の商用磁気テープ装置『IBM726』を開発、コンピュータの主要記録媒体が磁気テープとなる時代の先駆けとなる


9


東京電気化学(TDK)が東京・中目黒に新しい磁気テープ研究施設「清水工場(木造平屋27坪)」を建設し研究を加速
9


4日・映画『風と共に去りぬ』が日本で初めて劇場公開される
10


28日・『日本テレビ放送網』設立、社長は正力松太郎
12


松下電器と蘭・フィリップスが技術提携し、合弁で松下電子工業を設立

エモリー・クックが初の商品化されたステレオ・レコードとなる『クック・バイノーラル・レコード』を発表、1枚のレコードの外側と内側の二つのエリアを設け、2つのチャンネルを独立して録音・再生する方式だったが、カートリッジの複雑な調整が必要で商業的には失敗

通産省が磁気テープの国産化を図りコンテストを実施、SONY、TDKら4社がコンテストに参加

アメリカで、UHF帯を使ったテレビ局放送開始

東京通信工業がAMPEXの300Cをベースに最初の『NHKモデル ST-11型』を製作



NEC関連会社の東北金属工業が独自開発のプラスチックベースの磁気録音テープ『Talkie Ribbon』を発売。



ラジオ受信契約が1000万件を突破


1953年
昭和28年
2

AKGが大型のダイヤフラムによって低周波のサウンドを明瞭に収録する世界初の超指向性型マイク『ダイナミック・カーディオイド・マイク』を発明
1日・NHK東京テレビジョン局が本放送を開始し、日本でテレビの本放送が始まる
3

23日・ドイツの巨大化学企業I.G.ファルベンが、この日正式に解体完了
3

28日・ドイツでI.G.ファルベンの正式解体を受けてBASFが正式に設立される。資本金は3億4010万マルク、
5


東京電気化学(TDK)で開発中の磁気テープの性能にようやくめどがつき始める
6


日本磁気テープ工業会発足、初代理事長は盛田昭夫氏で10月に発足
7
2日・アンペックスが社名をAMPEX社(Ampex Corporation)に変更

夏期巡回ラジオ体操開始
8


東京都武蔵野市に『東京テレビ音響株式会社』を設立し、セミプロタイプの録音・再生電気音響機器の製造販売を開始、1959年に東京電気音響と提携し、TEACのテープレコーダーを製造
8


13日・NHKがテレビが初めて『全国高校野球』を実況中継
8


13日・NHKがテレビで初の『プロ野球中継・阪急ー毎日戦』を放送
8


28日・日本初の民放テレビ局『日本テレビ放送網(JOAX-TV)』開局
9


東京通信工業がP型よりさらに低価格で5万円を切る『R-1型』を発売
10


東京電気化学(TDK)が同社初のオープンリールテープ『Sychrotape(シンクロテープ)』を発売し磁気テープ事業に参入。秋葉原を中心に広瀬無線、電気堂などと取引を開始するもほとんど売れず。当初は性能が今ひとつで、保磁力が3Mの製品と比べ半分ほどの120〜130エルステッドで高域が十分に出なかった
10


録音テープ業界の健全な発展に寄与する目的で、当事国内で磁気テープを製造していた東京通信工業(SONY)、東北金属工業、東京電気化学(TDK)の3社が磁気録音テープ工業会設立

Reeves Soundcraft社がデュポン社製のポリエステルフィルム(商品名Myler)をベースに使った磁気テープ 『lifetime』を発表
スイスのKudelski社のステファン・クデルスキーがポータブル・テープレコーダー『NAGRA II(ナグラ-2型)』を発売、優れた性能と信頼性で業務用ポータブルレコーダーの不動の地位を確立
電音(現DENON)がAMPEXの300Cをベースに2台目の『NHKモデルST-14B型』を製作

AMPEXがオープンリールテープ用高速デュプリケーター『Model 3200』開発
ヨーロッパではBASF、アメリカでは3Mがそれぞれ磁気テープ開発を進めていたが、BASFが家庭用オープンテープに関して3Mに特性をそろえることを決め、以後のモデルの型番の末尾にS(Scothテープとの互換性を示す)を付け発売開始
日本コロンビアが磁気テープの研究を開始

NTSCのカラーテレビ標準方式が決定
BBCが英王女戴冠式を欧州でテレビ中継実施
NHK技術研究所が国産初のコンデンサーマイク『CU-1(単一指向性)』を開発

プロのオペラ歌手という側面を持つオーディオエンジニア、ジョセフ・グラドがGRADO設立
独BASFが35μ厚の長時間録音テープ『LGS35』を発売、ベースはPVC



1954年
昭和29年
3


日本ビクターが国産初のEPレコード(洋盤)を発売
5


1日・東京通信工業の宮城・多賀城市の仙台工場完成



東京電気化学(TDK)が同社の磁気テープ用の磁性材料の保磁力UPに成功、
9


東京通信工業がR-1型を改良した『TC301』を家庭用小型機として5万円を切る価格で発売し、日本で初めてテープレコーダーの大量生産を開始
10


NHKがフィルム録画装置を初めて使用
11


東京通信工業がP型の改良型テープレコーダーP-3型を発売、69500円、
12


東京通信工業が301のデラックス版の『TC302』を発売、価格は57000円

3Mがそれまでの50μ厚のスタンダードテープに対して、1.5倍の長時間録音用が可能なテープ『♯190 Extra Play』を発売、テープ厚は33μ
独AGFAが同社初の放送用テープ『FR』を発売、アセテートベースで、テープ厚は66μ
多くのメーカーがテープレコーダー製造に参入し互換性がないものが市場にあふれたことから文部省が教育用テープの基準を制定、以後普及が促進される

3Mがポリエステルベースの長時間録音用テープ『♯150』を発売、テープ厚は32.3μ

Hi-Fi用フォノモーターで定評があった赤井電機が『AT-1型テープメカニズム』を発売、アンプの自作が必要

AMPXがポータブルテープレコーダー『Model 600』開発

富士写真フイルム足柄研究所写真物理研究室で磁気記録研究を開始

Reeves Soundcraft社が、3Mに続き35μ厚の長時間テープ『Plus 50(またはLONG PLAY)』発売、ベースはポリエステルフィルム(マイラー)を使用、

赤井電機がテープトランスポート部の簡易組み立てキット『AT-1』を発売、価格は9800円と画期的な値段、アンプは自作する必要がある、


1955年
昭和30年
3


東京通信工業がすべての製品に『SONY』のマークを入れることを決定
7
27日・AMPEXが最初のステレオ家庭用音楽システム『Model612』システムを発表し、業界標準モデルを確立


8


NHKがScotch#111を使用した基準テープを作成(BTS規格)

Orradio Industries社が、デュポン社製のポリエステルフィルム(商品名Myler)を使った25μ厚の長時間録音テープ『DOUBLE PLAY』発売、さらに18μ厚の『TRIPLE PLAY』も発売

東京通信工業(SONY)が最初の家庭用ステレオ・テープレコーダー『TC-551』と、『TC-552』『TC-553』を発売



東京通信工業(SONY)が、初めて音質に重点を置いたテープレコーダー『TC-501』を発売、8万4000円、メカ部の特徴は大きなフライホイールの採用でワウ・フラッターの改善を狙う



東京通信工業(SONY)が日本初のトランジスタラジオ『TR-55』発売、世界で初めて自社製のトランジスタによる商品



赤井電機が改良型の『AT-2』を発売、付属の組み込み用アンプとセットで12500円の価格で一躍評判となる、テープスピードは19と9.5cm/s、2ヘッド、周波数特性50〜10kHz、ワウ・フラッター0.3%以内、重量7.5kg、 



このころ日本の磁気テープの性能が米国製と同レベルに到達



東京通信工業(現・SONY)がNHK技研のCU-1を原型として、コンデンサーマイク『C-37A』を開発、その後放送局やスタジオで使用される名機となる


1956年
昭和31年
4
AMPEXがシカゴ放送機器展で世界初のビデオテープレコーダー『VR-1000』を発表、2インチ幅のテープで固定ヘッドで、テープは3MがAMPEX用に開発した高性能4層ビデオテープ Scotch179。3Mの技術者がショー開催の24時間前に連絡を受け徹夜でサンプルテープ2巻を製造、4時間前にシカゴ行きの飛行機に飛び乗って間に合わせた。結果は「写真のような画質!」と会場の観衆の大反響を得る


7


東京通信工業が3万8000円の中型家庭用機種『TC201』を発売
8


NHKがそれまで性能と信頼性の面から放送には3M製テープのみを使用していたが、SONYとTDKの国産磁気テープの特性・品質比較の結果、当時の標準テープである3Mの111Aと互換性のあるテープを製造することを条件に採用する方針を決定、さらなる研究開発を促す
11
30日・AMPEXのビデオテープレコーダーを使って、初めて西海岸と東海岸で『Doug Edwards and the News』が同時放送される


12


NHKがSONYとTDKの国産オープンリールテープの採用を決定
12


東京都墨田区に東京電気音響株式会社が設立され、磁気テープ応用装置の製造を開始

米コロンビアレコードが新しいレコード規格『XLP(Extended Long Playing)』を開発、回転数16 2/3、サイズはEPと同じ17.5cmで片面演奏時間45分で、クライスラー社が依頼した車載型だったが走行中の演奏は“悲惨な物”だったのでほとんど発売されず数年で姿を消す
独BASFが同社初の放送用録音テープ『LGR』を発売、PVCベースで、テープ厚は51μ
赤井電機が『テレコーダー900』を発売、赤井はこの後同社の磁気録音機を『テレコーダー』の商品名とする



東京電気音響(後のTEAC)が3ヘッドのステレオデッキ『TD-101』を試作品として発表



NHKがカラーテレビ実験放送を開始、UHFで出力は80w


1957年
昭和32年
5
24日・AMPEXがアラバマ州オペライカの磁気テープ製造会社『ORRadio Industries, Inc.』を買収し、磁気テープ事業部を設立
東京通信工業(SONY)とTDKが初めて国産の放送用磁気テープをNHKに納入
7


東京電気化学(TDK)が、NHKの要求を満たすテープを完成させ、初めてシンクロテープ200巻を受注

AMPEX300で多重録音を進めていたギタリストのレス・ポールが考案した、8トラックのマルチトラックレコーダー『AMPEX Model 300-8』が完成。1万ドルでレス/ポールの自宅スタジオに納入された。1インチ幅8chで世界初の“マルチトラックレコーダー”が実現し、レコーディングの新しい可能性が広がる

11


3日・日本蓄音機レコード協会(現在の日本レコード協会)が11月3日を『レコードの日』と定め、第一回レコード祭を実施
12


24日・NHKが東京でFM実験放送開始

Audio Deviceが低転写の録音テープを発表 ソ連が世界初の人工衛星打ち上げ
TEACが同社初のテープレコーダー『TD-102』開発、日本初の3モーター・3ヘッドステレオデッキ

AMPEXが初めてのVTRの実用機を完成
BASFがポリエステルベースの18μと25μの薄手の録音テープを発表 トリオが国産初のFMチューナー『FM-100』発売、12月のFM試験放送開始に伴いFM黎明期の市場をほぼ独占し、ラジオ部品メーカーだった同社をチューナーのリーディングカンパニーに押し上げる基礎となる

JBLが左右チャンネル一体型のスピーカーシステム『パラゴン(Paragonn)』発売、1980年代まで長くJBLのシンボルとして君臨

東京通信工業がリールを2段重ねにしてテープをマガジン状に収納した『ベビーコーダー』を発売

AMPEXの世界初の8チャンネルマルチトラックレコーダー『300-8』は合計3台製造され、この年の暮れまでに2台目はフランスの映画会社、3台目は米アトランティック・レコードが購入した。アトランティックは世界で初めて丸とトラック・テープレコーダーを導入したレコード会社となる

富士写真フイルムが磁気テープ用パイロットプラントを建設



東洋レーヨンがポリエステル・フィルムを商品化


1958年

1


東京通信工業が社名をSONY株式会社に変更
5


東京電気化学(TDK)が、神奈川県川崎市中原区に新しい磁気テープ工場「玉川工場」を建設、清水工場の月産3000巻から、月産8000巻でスタートし、3年後には10万巻となり製造能力が大幅に増強される
5


東京タワーが完成
6


SONYの江崎玲於奈がブリュッセルの国際固体物理会議でトンネルダイオード」について講演し一躍注目を浴びる
7


NHKが初めてVTRを使用
8


日本ビクターが国産初のステレオLP『チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番、エミール・ギレス(ピアノ)、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団』(SLS-2001)を発売
11


日本コロムビアが日本ビクターに続きステレオLPを発売

RCA社が録音テープのカートリッジを考案
独BASFが26μ厚の長時間録音テープ『LGS26』を開発、ベースはPVC
SONYが国産初の回転4ヘッド式VTRを完成

RCAビクターが世界初の本格的なステレオレコードを発売、英EMIの録音エンジニア、アラン・ブルムラインが1931年に考案した『45/45』方式を採用
独AGFAが35μ厚の長時間テープ『PE31』、26μ厚の『PE41』を発売
SONY、TDK、NEC(東北金属工業製)の3社が民放に放送録音用テープを納入


スイスのKudelski社がポータブル・テープレコーダー『NAGRA III(ナグラ-3型)』を発売、優れた同期システムで映画業界のデファクトスタンダード機となる
日本ビクターがビクター築地スタジオで国産初の『45-45方式ステレオ』のレコードの発表会を行う。戦後の復興期に明るい話題を提供し、以降の日本のオーディオ業界急成長の引き金になったと言われる


BBCがビデオテープレコーダー『Bera』発表



1959年

2


NHKで富士写真フイルムが開発したの国産初のビデオテープへの録画に成功
5


日本電気がコンピュータデータ記録用の1/2インチ幅8トラック磁気テープ装置『542』を完成
4


10日・皇太子殿下ご成婚を各局がラジオとテレビで生中継したことでテレビが急速に復旧、“岩戸景気”となる
12


富士フィルムが同社初のオープンリールテープ『東芝ー富士フィルムサウンドテープS-100』発売、アセテートベースで、3号、5号、7号の三種、当時は電気店への販売ルートを持たなかったため東芝との共同発売


モスクワの家庭電化製品の展示会で、フルチショフがニクソン大統領と論争になったところを、ビデオテープに記録され『キッチン戦争』と話題になる
NHKがゼンマイ駆動、手巻き式のテープレコーダー『PT-3型』を採用し、ラジオの録音構成番組の取材などに使用、電源は電池(UM-1形3個並列)で、重量は約8.6kg、棒型のカーボンマイクで録音し、イヤフォンで再生・試聴する


独AGFAが同社初のスタジオマスタリング・テープ『PE22』を発売、ポリエステルベースで、テープ厚は50μ
SONYが『取材用可搬型テープレコーダー』の商標として『デンスケ』を登録、登録番号第543827号、当時毎日新聞の連載漫画『デンスケ』で主人公のデンスケが街頭録音に可般型録音機を使用していたことで各社が名称を使用していたが、以後SONYが独占


独AGFAが『PES26』と『PES335』を発表、ポリエステルベースでテープ厚は25μ
アメリカのグラミー賞を視察した古賀政男が日本レコード大賞を開催



東芝が1ヘッド式VTRを公開


1960年

2
15日・SONYがソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立、日本の電機メーカーとして初めて自ら米国で販売活動を開始


3


日本で、録音テープ用リールのJIS規格が初めて制定される、米国のRMA、NAB 規格、国際規格のCCIR、IEC等を参考
8


富士通がテンションアーム緩衝機構を採用した同社初のコンピュータデータ記録用磁気テープ装置『FACOM 601』を完成
9


10日・東京と大阪でカラーテレビの本放送開始

AMPEXがOrradio Industriesを買収、Ampex Magnetic Tape Divisonとして磁気テープ製造事業に乗り出す
独BASFが同社初のスタジオマスタリング・テープ『LR56』を発売、PVCベースで、テープ厚は52μ
SONYが初のトランジスタテレビを発売

米国で初めて4トラック2チャンネルの音楽テープが発売される

マクセルが録音テープの量産を開始



日本ビクターが2ヘッド式VTRを開発


1961年

2


1日・日東電気工業株式会社(現・日東電工)から、乾電池・磁気テープ部門が分離独立し、マクセル電気工業株式会社として創業
2


文明堂のテレビコマーシャル『カステラ1番』放送開始
3


1日・NHKのテレビ受信契約数が1000万件を突破
5



9


NECブランドの磁気録音テープを製造していた東北金属工業が、株主のNECと住友グループが米3Mとの合弁会社設立を決めたことで、グループ内での競合を避けるため磁気テープ製造から無念の撤退。製造設備はすべて新会社・住友スリーエムに移管され、技術者も出向
11


23日・初の日米間テレビ衛星中継実験で受信に成功
12


米3Mが住友電工と日本電気(NEC)と合弁で日本現地法人・住友ミネソタ株式会社を設立、翌年社名を『住友スリーエム』に改称

デュポンが二酸化クロムを主体とした画期的な磁性材料を開発。それまでのガンマ酸化鉄の保磁力が300エルステッドなのに対し、500エルステッドと高く高密度記録ができるのが特徴でビデオテープ用として大きな期待が寄せられる
独BASFが18μ厚の長時間録音テープ『PES18』を発売、ベースはポリエステル
SONYが国産初のオールトランジスタ・アンプ搭載オープンリール・テープレコーダー 『TC-777』発売、3モーター、3ヘッド構成の高級モノラル機で、ソフトタッチ操作、リモコン可能など業務用機能を家庭用機に導入、メカデッキ部はダイキャスト製で高い精度を確保し、アンプ部はシリコン・トランジスターを使ったOTLアンプを採用


独AGFAが、同社初の放送用磁気テープ『PER』を発表、赤色のバックコートが施される



独AGFAが18μ厚の長時間録音テープ『PE65』を発売、ベースはポリエステル



1962年

5
AMPEXがテープを切らずに映像を編集する『電子ビデオ編集システム』を導入


9


SONYが小型VTR『PV-100型』を発表
11


提携していた東京テレビ音響と東京電気音響がそれぞれティアックオーディオ株式会社、ティアック株式会社とそれぞれ社名変更
12


住友スリーエムの相模原工場で、磁気テープ製造の準備を開始

3Mが世界初のローノイズ・テープ『ダイナミックレンジ・シリーズ Scotch ♯201、♯202、♯203』を発表、「S/N比の良さは抜群、テープ自身のノイズが少なく、広い範囲の音をひずみなく録音・再生する世界最高の品質、寿命は♯111の15倍、マスターテープ及びステレオ用に最適」と謳う、♯111よりもノイズレベルを5dBも改善した画期的な性能で以後ほとんどの磁気テープがローノイズ化されるきっかけとなった
独AGFAが放送用赤色バックコートテープ『PER』を発表
富士写真フイルムが放送用のビデオテープを発表

車載用のカセット式テープレコーダー『フィディリパック・カートリッジ』が発売、6.3mm幅のテープをエンドレスループし4トラック、ステレオ方式、テープスピードは9.5cm/s、演奏時間は10分
BASFがフィリップスと共同研究で、コンパクトカセットテープを完成
パイオニアが世界初のセパレート・ステレオを発売

ベル研究所が『エレクトレット・マイク』を開発
蘭・フィリップスがコンパクトカセットテープの試験モデル『C-60』と、テープレコーダー『EL-3300』をヨーロッパで数量限定で先行発売 日立がコンピュータデータ記録用の8トラック、80BPI、テンションアーム方式のオープンリール磁気テープ装置『H-144』完成

SMPTE映画テレビ技術者協会が、タイムコードフォーマットの標準仕様を確立




1963年
昭和38年
3


7日・米3Mが住友電気工業と日本電気(NEC)と合弁で設立した『住友スリーエム株式会社』が神奈川県・相模原工場で国産の磁気録音テープの製造を開始、最初に国産として製造したのは『Scotch♯111』
4


日本コロムビアが日本電気音響株式会社を吸収合併し三鷹工場とする、同社製品に『DENON(デンオン)』の商標を使用開始
6


住友スリーエムの相模原工場での磁気テープ生産が本格化し、♯111に続いて『Scotch♯150』を製造開始、続いて『♯190』『♯200』も製造。この時期はまだ原材料は輸入品を使用
7


SONYが小型VTR『PV-100型』を発売開始、248万円
8


19日・NHKが、国産のビデオテープとして初めて東京電気化学(TDK)と富士フィルムの製品を採用、両社とも3Mのビデオテープと同等の性能との評価
8


住友スリーエムが磁気録音テープに続いて、コンピューターデータ記録用の磁気テープ『♯498』『♯499』の製造開始、それまでのテープの2.5倍近い記録密度をもつ高性能テープ
9


10日・磁気テープ工業界が住友スリーエムの同会への入会を認める
9


SONYにドイツのグルンディッヒ社が『DCインターナショナル』というカセットを一緒に規格化しようと提案
9


SONYにフィリップス社の極東部長(当時・後の社長)のデッカー氏が来日し『コンパクトカセット』の共同開発を提案
10


NHKが初めてスローモーションVTRを使用
12


24日・FMステレオ放送が開始され、日本の音楽/オーディオ界が本格的なステレオ時代に突入
12


住友スリーエムが同社初の国産ビデオテープ『♯379』の製造開始、テープ幅は2インチ


独でグルンディッヒ、テレフンケン、ブラウプンクトの3社が独自のカートリッジ式カセットテープ規格『DCインターナショナル方式』を提案し、グルンディッヒが発売開始、フィリップスのコンパクトカセットと同じツイン・ハブ構造でカートリッジはわずかに大きく、フォルクスワーゲンが車載用に採用、
富士写真フイルムの国産放送用ビデオテープをNHKに納入開始



アニメ『鉄腕アトム』テレビ放送開始



日本コロムビアがカートリッジ『DL-103』をNHKと共同開発


1964年

4
AMPEXがこれまでよりも高画質な放送用ビデオテープレコーダー『VR-2000』発表

マクセルが『日立マクセル株式会社』に社名変更
10


提携していたティアック・オーディオ株式会社(元東京テレビ音響)とティアック株式会社(元東京電気音響)が合併し『ティアック株式会社』となる
10


NHKが東京オリンピックの衛星中継に成功、当時は“宇宙テレビ中継”、NHKのオリンピック放送ではその6割がTDKのビデオテープを使用
10


SONYが世界初の1/2インチオープンリールタイプの家庭用白黒VTR『CV-2000型』発売、19万8千円、記録時間は60分、重さ21kg、NHKでも採用され番組の収録・試写用などに使用、また学校放送や様々な生産現場で幅広く使われる

マサチューセッツ工科大学の電子工学教授であるアマー.G.ボーズ博士が、MIT学内にボーズ・コーポレーションを設立
蘭・フィリップスがベルリンショーで『コンパクト・カセット』を発表しオーディオ業界に一大センセーションを巻き起こす。アメリカで車載型として開発されていたカートリッジよりも小型のツイン・ハブ構造で、テープスピードは4.76cm/s、基準となったヘッドは当時最高性能のフィリップスのフェライトヘッド。最初のリファレンステープはBASFのPES-18・パッチNo.277581だが、一般に普及する前に、のちにリファレンステープのゴッドファーザーとなるBASFのLHテープ『C521V』に変更、
SONYが自動録音レベル調整機能を搭載したオープンリールデッキ“ソニオマチックセブン”『TC-357』発売



この年、日本のレコード売上がドイツやイギリスを抜き米国に次いで世界第2位になる、


1965年

1


SONYがコンピューター界の巨人IBMと「電子計算機用磁気テープの製造技術援助契約」を締結
1


住友スリーエムが相模原工場で磁気録音テープ『Scotch♯201』『Scotch♯202』『Scotch♯203』の製造開始、この時期には住友スリーエムが取り扱っていた磁気テープ製品の70〜80%が国産化されていた
1


住友スリーエムがコンピュータデータ記録用磁気テープの量産を開始、数年後に日本市場をほぼ独占する
5


三越デパートの特選売り場が電機メーカーに先駆け日本で初めてフィリップスのコンパクトカセットレコーダー『EL-3310』を発売、価格27000円と高価だったが完売
9


富士写真フイルムが東芝との契約を改訂し、自社ブランドのオープンリールテープ『S-100』発売、同時にホワイトテープ『SW-100』も発売
10


NHK放送センター運用開始
11


SONYが“コンピューター界の巨人”IBMと電子計算機用磁気テープの製造技術契約と、新しい磁気記録媒体の共同研究並びに技術援助契約を締結、IBMが米国の磁気テープ業界を独占していた3MではなくSONYを選んだことで、SONYの名声がさらに高まる

NAB規格が改定され、テープ幅を0.248インチ(6.30mm)に変更
蘭・フィリップスが互換性を厳守することを条件に、世界中のメーカーを対象にコンパクトカセットの基本特許を無償公開に踏み切る、小型で性能も優れていたことから小型カートリッジ式テープレコーダーのフォーマット戦争を制することになる
日本ビクターが日本初の4トラック2チャンネルの音楽テープを発売

ドルビー研究所がノイズリダクションを開発

赤井電機が家庭用固定ヘッド式VTR発売

米リアジェット社が8トラックの車載用カートリッジテープ発売、録音時間は約60分で、フォード、GM、クライスラーが採用しカートリッジ型テープの標準となる

松下と日本ビクターが1/2インチVTRを発売



富士写真フイルムが放送用高密度ビデオテープ発表



松下電器がオーディオブランドとして『Technics(テクニクス)』を立ち上げ



この年の日本の磁気テープ産業の規模は約35億円


1966年

2
3Mの初のコンパクトカセットテープ『♯271』発表


4


住友スリーエムが東京・秋葉原に販売特約店を設定しラジオ会館で Scotch磁気録音テープの発売発表会を催す。当時の秋葉原には輸入した中古のScotchしか並んでおらず、店頭に並んだ国産新品テープは売り切れ続出となった
4


松下電器産業がフィリップスのコンパクトカセットレコーダー『EL-3301T』を一部手を加えたOEM生産で発売
6


東京電気化学(TDK)が国産1号のコンパクトカセットテープを開発し、松下電器にOEM供給して発売。当時カセットテープをOEM供給できるのはTDK1社だったため、内外の多くのメーカーから依頼が殺到
6


AIWAが初の国産コンパクトカセットレコーダー『TP-707P』を発売
7


マクセルが国産初のカセットテープ『C-60(700円)』を発売、ハーフの精度が高く、かつ磁気特性、信頼性に優れていた
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東京電気化学(TDK)が米GE社からカセットテープを受注しOEM供給するも大量の走行不良クレームが発生。原因はテープとハーフシートの摩擦で静電気が発生して吸着し、トルクの弱いデッキで走行不良やジャミングが発生するという物。TDKはこの後各社の50種300台のレコーダーを購入しテスト結果を各メーカーにフィードバックするようになる
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この時期、住友スリーエムが扱う磁気録音テープ、コンピュータデータ用磁気テープ、ビデオテープがすべて国産品となる
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26日・東京電気化学(TDK)が同社初、国産としてはマクセルに続いてC-60タイプのカセットテープ『シンクロカセットテープ(700円)』発売
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SONYが同社初で国産では3機種目のコンパクトカセットレコーダー『TC-100(マガジンマチック100)』発売、同時にコンパクトカセットテープ『C-60/90(700円/1000円)』も発売


SONYとフィリップスがVTRに関してフリー・クロスライセンス契約(お互いが、相手の所有する特許を自由に使えるようにした契約)を締結
NHKが小型直流電動モーターを駆動源とした肩掛式のテープレコーダー『PT-5型』採用し、ラジオ番組での外部収録に活躍、トランジスター15個を使用、本体重量は約6kg、電源はUM-1形電池8個、UM-2形電池6個で、連続4時間動作


1967年

1

1日・テレフンケンが親会社のAEGと合併し『AEG-テレフンケン』となる
AIWAが国産初のステレオカセットレコーダー『TP-1004』を発売、



レナウンのコマーシャル『イエイエ』放送開始、CMディレクターは松尾真吾、音楽は小林亜星、アメリカンテレビCMフェスティバルで国際部門の繊維部門最優秀賞を受賞し、日本のコマーシャルが初めて国際的に認められる
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住友スリーエムが、同社初のコンパクトカセットテープ『Scotch ダイナレンジ・カセットテープ(C-60、C-90)』を発表、日本初のローノイズオキサイドを使用で、6月から発売開始
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AMPEXがカメラと組み合わせて単独でオペレーション可能な、バッテリー駆動のポータブルビデオテープレコーダー『VR-3000』発表、これまでで最も小型の放送撮影システム

SONYが、1961年に米デュポンが開発した二酸化クロムを主体とした高密度記録が可能な磁性材料の日本国内の専用実施権を契約
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31日・NHKのテレビ受信契約数が2000万件を突破

ボーズが、前面1個、後面8個という独特のユニット配置のスピーカー『901システム』を発売
BASFがヴィルスタットに当時世界最大・最新鋭の磁気テープ製造工場を建設。材料の搬入からから梱包までの工程が一直線に配置され、途中でテープが人の手にほとんど触れることのない自動化された近代的工場。特に磁性材の塗布工程はクリーンルームを備えた、埃の混入の無い高品質なテープを製造できる用になった。 TEACが高級オープンリールデッキA6010発売、159000円

デュポンが二酸化クロム磁性体を開発
スイスのスチューダーが、REVOXブランドで当時最高級と評された民生用テープレコーダー『A-77』発売、世界中のオーディオファンや音楽家に支持され世界で40万台以上販売、3個の独立したモーターと、電子制御によるスピードコントロール方式はその後の高級テープレコーダーの基礎となる
富士写真フイルムが放送用ハイバンドカラー用ビデオテープ『H-700』発売


ビートルズがアビーロードのEMIスタジオでスチューダーのマルチトラックレコーダーを使ってアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を録音 富士写真フイルムがプロ用オープンリールテープ発売


1968年




SONYが米CBS.Incとの合弁でCBSソニーレコードを設立
3


東京電気化学(TDK)が、それまでのブランドネーム「シンクロ」を「TDK」に変更し、自社ブランドの育成を最重点戦略として展開を始める
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AMPEXがバッテリー駆動のポータブルビデオテープレコーダー『VR-3000』とモノクロカメラ『BC-3000』をセットにした、初の量産モデルの出荷を開始

15日・SONYが独自のブラウン管方式『トリニトロン』を発表
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東京電気化学(TDK)が世界初のHiFiカセットテープ『SD(SUPER-DYNAMIC)』をNYのCEショーに出品し大反響を得る。TDK初のアメリカ市場進出で、7月から1年半にわたりキャンペーンを展開、60分テープが市場価格の3倍の4.95ドルだったが高級カセットとして飛ぶように売れたという。のちにアポロ11号でも利用される

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メキシコオリンピックで、AMPEXのビデオテープレコーダーが採用される

SONYがトリニトロンテレビの第1号機『KV-1310』発売
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10日・NHK総合技術研究所の林謙二音響研究員が、研究中のデジタル録音で初めて満足できる音を再生

アポロ7号からヒューストン経由でテレビ生中継実施
蘭・フィリップス社が磁気テープ生産部門を設立、後のRMG



山水が普通のステレオレコードを使って擬似的に後方の左右の2チャンネルを合成する『クアドラ・フォニック・シンセサイザー』を発表、4チャンネルブームの先駆けとなる


1969年
昭和44年
3


東京電気化学(TDK)が前年にNYで発表した世界初のHiFiカセットテープ『SD(SUPER-DYNAMIC)C-60』を国内発売。「音楽のために世界で初めて誕生した“超音響”カセットテープ」を謳い、優れたSN比と広いダイナミックレンジ、低歪みを誇る。長年研究していた戸田工業製のSD磁性粉を使用。TDKが世界有数の磁気テープメーカーとなるきっかけとなる
3


1日・NHK-FMが全局本放送開始
4


日本蓄音機レコード協会が名称を『日本レコード協会』に改称
5
AMPEXがプロ用ローノイズ・オーディオ・マスタリングテープ『404』シリーズ発表

砧のNHK総合技術研究所で世界初の“デジタル・ステレオ録音”の公開再生実演会が行われる、N響演奏によるリムスキー・コルサコフの歌劇『金鶏』の序曲がヒスノイズやスクラッチノイズなくスピーカーから飛び出し多くの人が驚嘆、日本のオーディオ界で画期的なレコーディング技術が誕生し“音楽のデジタル時代”の幕開けを告げる
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AMPEXが1000台目となる『VR-2000』をニューヨークのCBSテレビのスタジオに納入

オリンパス精機がマイクロ・カセットを使った小型レコーダー『ズイコー・パールコーダー(Zuiko Pearlcorder)』を発売、サイズは縦横ともコンパクト・カセットの半分で、テープ幅は3.8mm、テープスピードは2.4cm/sと1.2cm/s、録音時間は往復でそれぞれ 60分、120分
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5日・AEGテレフンケンが合併から2年8ヶ月でテープレコーダー(Magnetiphon204 TS?)を2万台製造
SONYが低雑音・高出力のオープンリールテープ『SLH(SuperLow-Noise・Hi-Output)』シリーズを発売。当時としては高性能テープで、この後レコードメーカーがつぎつぎと4トラック2チャンネル音楽テープに採用
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29日・SONYがカセットVTR『ソニーカラービデオプレーヤー』発表
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TEACが世界初の2トラ38の音楽ソフト「MASTERSOUND」シリーズを発売。第一弾はKTC-5001<ゲヴァントハウス・カルテットのベートーベン弦楽四重奏曲ハ長調作品18「第四番」ほか>で定価15000円。テープはBASFのLGR30を使用
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キングレコードが10月発売のミュージックテープから使用するテープをすべてSONYのSLHに変更。London、argo、CR、A&M、Impulse!、KINGの各レーベル。
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10月のTEACに続いて、2トラ38の音楽ソフトをフィリップス=東陽堂が発売、タイトルは「オイゲン・ヨッフム指揮、アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団:ベートーベン交響曲第八番」

3Mがミュージック・マスターシリーズのオープンリールテープ『Scotch♯206、♯207』を発売、テープ厚はそれぞれ52.8μ、38.4μ、ローノイズ化に加え、最大無歪出力を3dB改善することに成功、初めてバックコートも採用し安定走行も実現

日本の磁気テープ産業の規模が100億円を超える

アポロ11号が月面着陸

SONYのカセットレコーダー『TC-50』がアポロ10号で月の周回軌道を飛行

アポロ12号が月面からカラーテレビ中継

TEACが世界初の本格的なコンパクトカセットを使ったカセットデッキ『A-20』を発売、基準テープはTDKのSDを推奨

トーマス・ストックハム博士がデジタルテープ録音の実験を開始

NHKと富士写真フイルムがコバルト入り高抗磁力テープを発表



日本コロムビアが日立製作所と業務提携


1970年
昭和45年
1

27日・AEGテレフンケンが合併から三年間で10万台の白黒テレビを製造

2


磁気テープの需要増大により、住友スリーエムが相模原工場に磁気製品の新工場(第三工場)を建設し操業開始、この時期に同社で独自開発したオープンリールテープ『JMT-3001』の製造を開始
3


15日・大坂で万国博覧会開催される。岡本太郎が製作した太陽の塔の顔の部分には、住友スリーエムの耐退色性に優れた『スコッチカル印633フィルム(ゴールド)』が使用された
3


SONY、松下電器、日本ビクター、その他海外メーカー5社の間で「U規格(Uマチック)」VTRの規格統一の合意
9


住友スリーエムが新しいスタジオ用マスタリングテープ『♯206』『♯207』発売開始、初のバックコーティングを施したテープで特性も優れており、その後ほとんどのレコード会社や録音スタジオでマスターテープとして愛用される
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日本ビクターがディスクリート方式の4チャンネルレコード『CD-4』を発表
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アメリカのシャイバーがマトリックス方式の『4チャンネル・レコード』を発表



AMPEXが406マスタリングテープ発売
BBCが独自のデジタル・レコーダーの試作品を完成させるも実験の域を出ず
マクセルが、音楽用カセットテープUDシリーズを商品化



SONYが70年代後半までの主力高性能オープンリールテープ『SLH(銀箱)』シリーズを発売、広く音楽テープに使われる



富士写真フイルムがオープンリールテープ『FM』シリーズ発売


1971年
昭和46年
2


住友スリーエム全額出資による関連会社・山形スリーエムの東根市の工場が操業開始し、カセットテープを製造
6


25日・日本ビクターが世界初のディスクリート方式の4チャンネルレコード『驚異のC.D.4サウンド』(CD4B-5001)発売
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TEACが日本初のドルビーノイズリダクションシステムを内蔵したカセットデッキ「A-350」を発売
8


ニクソン大統領がドル防衛緊急対策を発表し日本が変動相場制に移行『ニクソンショック』
9


SONYが世界初のカセットテープ式VTR『ソニー・カラー・ビデオカセットU-マチック』発表
10


10日・NHK総合テレビが全時間のカラー化放送を達成
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住友スリーエムの相模原工場・第三工場の二期工事で南棟が竣工し、磁気テープ製造部門が第三工場に集約される。最新設備の工場で一貫生産されることにより生産能力が大幅に向上

TEACがアメリカでミュージシャン用レコーディング機器の販売チャンネルTASCAMを設立

DENONが回転ヘッド式のビデオレコーダーを使用して18ビットのPCM録音実験

3Mがコバルト入り高抗磁力テープを発表

初の家庭用カセット式VTR『Uマチック』発売

世界の放送衛星業務用周波数分配決定

富士写真フイルムが放送用ビデオテープ『H-700』のバックコート付きを発売



富士写真フイルムがオープンリールテープ『FG』シリーズ発売



日本コロムビアがDENON(デンオン)ブランドの製品を販売開始、レコードプレーヤーDPシリーズやアンプのPMAシリーズなど


1972年

2


1日・SONYがカセットテープの定価値下げを突然発表、60分テープ(紙ケース)を450円から400円にするというもので、オープンとカセット合わせて7割というダントツのシェアを持つメーカーが打ち出した低価格戦略に、他社が衝撃を受ける
5


5日・TDKが同社のカセットテープのパッケージデザインを横縞の「ストライプパターン」に一新、ケースもそれまで一般的だった紙ケースから透明なプラスチックケースに全面的に変更した。秋葉原では実売360円で販売し、低価格路線を打ち出したSONYに対抗、「カセットはTDK」のイメージが定着し3年後には国内シェアナンバーワンになるきっかけとなる


独AGFAがアーカイバル仕様のスタジオマスタリングテープ『PEM468』を発表、
TEACが最初のSemi-sync機能付き4チャンネル・オープンリールレコーダーA3340S、A2340S出荷開始



SONYがSecloffシリーズの最上位機種TC-9000F2発売



SUNSUIがオープンリールデッキ『SD-5000』発売、3モーター、4ヘッド、2ch録音/再生の高性能デッキ



SANSUIが4ch時代に対応して開発したオープンリールデッキ『SD-5050S』発売、4トラック4chで、2CH録音/再生も可能な3モーター3ヘッドデッキ



富士写真フイルムがオープンリールテープ『FG』の10号リールを発売



プレーヤー、アンプ、チューナー、スピーカーなどそれぞれのコンポーネントをシステム化したシステム・コンポ、いわゆる「シスコン・ブーム」が到来


1973年

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NHKが渋谷・放送センターに移転完了
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第四次中東戦争が勃発し、世界がオイルショックに襲われる
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TDKが磁気テープ用の新磁製材『アビリン(Avilyn)』発表、酸化鉄にコバルトをただ混ぜるだけでなく針状の磁性粉の表面にコバルトを被着させるという新技術を確立し、磁気テープの特性を飛躍的に高めることに成功。磁気安定性に優れ製造も容易で、保磁力もコントロールできる優れた特性を持つ
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1日・SONYが世界初の磁性体を二層塗りしたフェリクロームポジションのカセットテープ『DUAD(Duad Ferri-ChomeRecordingTape)』を発売、周波数の高い音は二酸化クロームを塗った表面に近い部分に記録され、中域から低域の音は二酸化鉄を塗った内部の方に記録することで、低音から高音まで、全帯域にわたりダイナミックレンジと周波数特性を改善



ナカミチがカセットデッキの究極を目指して開発し世界を驚かせた超高級/高性能カセットデッキ『Nakamichi 1000』を発売、278000円、ディスクリート3ヘッドで、2モーター/ダブルキャプスタン、現在でもこの1000シリーズを超えるカセットデッキは存在せず、永遠の不動の王座を獲得



AKAIが同社初の2トラ38機『GX400 Pro』発売、248000円、オールGXヘッド、3モーター、ダブルキャプスタンの当時としてはプロ仕様、3スピード(38、19、9.5)でマイクミキシング可能



OTTOが4トラ2ch機『RD-9500』発売、同社久々の新型で、3モーター4ヘッドの片道録音・往復再生機



SONYが野外録音用の高性能コンパクト・カセットレコーダー『TC-2850SD』を発売、カセット・デンスケと命名され大ヒットし、本機を肩からさげた生録マニアが全国に出現



Lo-Dが世界初のコンビネーション3ヘッドカセットデッキ『D-4500』発売



SONYがリニトロンカラーテレビの開発で初めてエミー賞を獲得



富士写真フイルムがオープンリールテープ『FB(7号、10号)』を発売



フォスター電機がフォステクス(FOSTEX)設立


1974年

3


NHKが沖縄県にFM局を開局し、FM局の県域化が完了
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住友スリーエムが、放送録音用テープの品質向上を目指しNHKと日本民間放送連盟との協力で開発した放送用低雑音テープ『JMT-3100』開発、それまでの♯111(第1規格一般用録音テープ)に代わり、雑音を低減した第2規格テープとして採用される
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TEACが世界初のdbx内蔵オープンリールデッキ「A-7400RX」を発売、2トラ38機の当時の最高峰モデルで、398000円

CBSがニクソン大統領のモスクワ訪問をU-マチックVTRを使った革新的なシステムで取材し、他社を出し抜いていち早く一般家庭に映像を放送
このころテープレコーダーの技術が飛躍的な進展を遂げていることから、ドイツ工業規格であるDINの委員会でコンパクトカセットのキャリブレーションテープを変更を決定。磁束周波数レスポンスを10kHzで1.7dB減らすなどしたが、当時はDINの動きは日本にまで伝わることがなく、輸入した日本のキャリブレーションテープ製造メーカーが一時混乱した
SONYが技術を集大成して開発されたSecloff(セクロフ)シリーズの最高級オープンリールデッキ『TC-8750-2』発売、55万円、クローズドループ・デュアルキャプスタン方式採用、2トラック再生用ヘッドにコンターエフェクト改善型のF&Fヘッド、応答速度1msecのVU切り替え可能なオプティカルピークプログラムメーターなど、最高級にふさわしいSONYの技術が満載

CBSの副社長ジョー・フラハティー氏がSONYを訪れ「もっと軽くて便利で、少なくとも16ミリフィルムと同じ画質の放送局専用のU-マチックが欲しい」と放送用U-マチックの開発を依頼

SONYが2トラック2チャンネルのポータブルステレオオープンリールテープコーダー“オープンデンスケtypeI”『TC-5550-2』発売、178000円

ニクソン大統領が、大統領執務室から送られた磁気テープでウォーターゲート事件に関与したことが発覚し、大統領を辞任

SONY初のデジタル・レコーダー『X-12DTC」を完成、2インチテープで固定ヘッドが56チャンネル、大型冷蔵庫並みの大きさで総重量は約300kg、SONYのデジタルサウンド録音の歴史の幕開けとなる記念すべき機種

アメリカ初の国内通信衛星『ウエスター1号』打ち上げ

TEAC初のマルチトラックレコーダーA3340発売




NHKが小型軽量化と高信頼化に重点をおいて設計されたアサカの『AVS-3200B型 1インチVTR』採用、高さが138mmと薄型で軽量なため、運搬・移動が容易で機動性に優れ、NHK特集などの海外ロケや国内のビデオロケなどに使われた

3Mが♯111より10dB以上の出力を持つ高性能マスタリングテープ『Scotch 250』発売

マイクロ・カセットの規格がオリンパス、ソニー、松下の3社で標準化され、 翌年からメモ用のマイクロ・カセット・レコーダーが市場に登場



富士写真フイルムがUマチックVTR用テープ『ベリドックステープ』発売



カセットテープのTYPE2ポジション用テープに使われていた二酸化クロムに変わる磁性材としてコバルト酸化鉄が開発される、二酸化クロムの弱点だった低音域の感度不足が大幅に改善されている


1975年




TDKが1973年に独自開発した新磁性体『AVILYN(アビリン Audio Video In dustryの合成語)』を使ったクロームポジションの名カセットテープ『SA(Super AVILYN)』を日米同時発売
4


16日・SONYが世界初の家庭用1/2インチカセットVTR『ベータマックス・SL-6300』とベータビデオカセット『K-60』を発表
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住友スリーエムがスコッチ印の『マスター』カセットテープ製造開始

AMPEX高出力のマスタリングテープ『456』発売
独AGFAが、スタジオレコーディングの定番テープの一つとなるスタジオマスタリング・テープ『PEM 468』を発売、ポリエステルベースで、厚さ48.5μ、同モデルはRECORDING THE MASTERS ブランドで2021年まで製造された



1976年




SONYが世界で初めてオーディオ・ディスクにデジタル録音の実験を行うも、バリバリというあまりのノイズの多さに参加者一同が落胆
3


住友スリーエムがスコッチ印の『クリスタル』カセットテープ製造開始
4


12日・SONY、テクニクス、TEACが3社が規格を統一した1/4インチ幅テープのカートリッジ式テープシステム『エルカセット(ELCASET)』を発表、オープンリールを凌ぐ性能をカートリッジ型テープで実現しようとしたもので、テープレコーダーの歴史の中ではじめて日本が国際規格化した録音機システム、テープスピードは9.5cm/sに統一、2トラック・モノラルと4トラック2ch仕様で、中央にコントロールトラックを装備
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住友スリーエムが自社開発の家庭用ビデオテープ『JMT-3522』製造開始
9


日本ビクターがSONYとは別に独自の家庭用1/2インチカセットVTR『VHS規格』を発表

ドルビー社が『ドルビー・ステレオ方式』を開発、L(左)、C(中央)、R(右)、R(後方)の4チャンネルを2チャンネルに変換して35mmフィルムの工学トラックに記録する方式

SONYがオーディオフェアでベータマックスとPCMプロセッサーを使ったPCMレコーダーを発表し黒山の人だかりとなる



DENONがオープンリールデッキ『DH-610S』発売、29万5千円、710の弟分とのコピーで、パーマロイヘッド、電子式テンションサーボ採用



TASCAMが1/2テープを使用した8トラック・オープンリール・レコーダー80-8発売、多くのミュージシャンに愛用される



SONY厚木工場でCBSから依頼をうけた放送局用のU-マチック『BV(Broadcasting Video)シリーズ』が完成、このニュース取材システムに「ENG(Electronic News Gathering)」と命名



テクニクスからアイソレートループ方式のオープンデッキ『RS-1500U』発売、24万4千円、



SONYがAMPEX方式の2インチ4ヘッド方式よりも大幅に小型化し、2インチの弱点をカバーした1インチ1.5ヘッド方式VTR『BVH-1000』を発表、NHKはじめ多くの放送局で収録・再生機として多数採用され、ドラマ、音楽番組、一般番組などの収録・再生・編集に活躍



NHKが日立電子の高性能化・軽量化が図られた携帯型4ヘッドVTR『SV-8000型』採用、記録時間は22分、記録方式はハイバンド方式で、他の4ヘッドVTRと完全な互換性がある、国内・外取材に盛んに使用される



ナカミチがカセットデッキの第5作目『nakamichi600』発売、1モーター2ヘッド、11万円



松下電器が家庭用ビデオ『VX2000』発売
年末


松下電器がVHS方式の採用をSONYに通告、松下幸之助は部品点数が少ないことが理由と話す


1977年

3

TDKが音楽用カセットテープ『AD』を発売、ノーマルポジションテープらしからぬ高域の伸びが素晴らしく音楽ファンに大人気テープとなる
6


住友スリーエムが透明なハーフケースを採用したコンパクトカセットテープ『クリスタル・カセットテープ』を発売。住友スリーエムが自社開発した物で、米3Mでも『住友シェル』と呼ばれて高い評価を受け、翌1978年には全世界の3M関連会社で採用される
9


SONYが世界初の民生用デジタル・オーディオ商品の1号機、PCMプロセッサー『PCM-1』発売、レコーダー部に家庭用VTRを使用することで大幅にコストダウンに成功し価格は48万円だったが初回ロットの100台があっという間に完売、エジソンが史上初の蓄音機『フォノグラフ』を発明してから100年目の出来事
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SONYとAMPEXで新しい放送用VTRの規格合意、ソニーの方式がほぼ全面的に採用され、2インチVTRの弱点をカバーした『SMPTEヘリカルスキャン1インチVTR・タイプCフォーマット』が誕生

映画スター・ウォーズで世界で初めてドルビー・ステレオ方式採用、未知との遭遇も

SONYがクローズドループ・デュアルキャプスタン方式の2トラ38機『TC-R7-2』発売、ヘッドには、優れた高域特性と耐磨耗性を持ち、さらにコンターエフェクト改善型のF&Fヘッドを採用

SONYがアメリカに磁気テープ工場を建設

TASCAMが1/4インチ、4トラックレコーダー40-4発売



AUREXがカセットデッキ用の独自のノイズリダクションシステム『アドレス(ADRES)』を発表



松下電器が同社初のVHS方式家庭用ビデオ『マックロード』発売


1978年

3


SONYが業務用のPCMプロセッサー『PCM-1600』を発売、業務用のU-マチックVTRと組み合わせた、ソフトウエア用マスターレコーダーシステムとして、録音スタジオに導入
5


SONYがポータブルタイプの肩掛け型録音機「デンスケ」シリーズで、教科書サイズの小型ステレオ録音機『TC-D5』発売、生録マニアの間で人気を得る
6

蘭・フィリップスがSONYに直径11.5cmのディスクによるオーディオ専用の光デジタルディスクの共同開発を提案、のちのCD(コンパクトディスク)
住友スリーエムが当時「夢の磁気録音テープ」と呼ばれたメタルテープ『メタファイン・カセットテープ』の発売を発表、各デッキメーカーが急遽メタルテープ対応デッキの開発を進める
7


東京電気化学(TDK)がVHS方式の『スーパーアビリン・ビデオカセット』発売、それまでのOEM供給だけでなく初の自社ブランドのVHSテープ。2時間用で4800円
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来日したカラヤンがSONYの盛田家を訪れ、当時試作中の業務用PCM録音機を試聴し「新しい音だ」と感激、このとき聞かせたのはザルツブルクでカラヤンの練習を隠し撮りしたもの
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東京でオーディオフェアが開催され、住友スリーエムがメタルテープを出品し大いに注目を集める
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東京電気化学(TDK)がベータ方式の『スーパーアビリン・ビデオカセット』発売、それまでのOEM供給だけでなく初の自社ブランドのベータビデオテープ
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3Mが世界初のメタル磁性体を使ったメタルポジション・カセットテープ『メタファイン(METAFINE)』を商品化し他社に先駆けて発売
住友スリーエムが世界初のメタル磁性体を使ったメタルポジション・カセットテープ『メタファイン・カセットテープ』を発売
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ICEのテープレコーディング規格改定ワーキンググループ議長で、BASFの応用技術部長W.アンドリーセン氏が、日本のEIAJと初めてミーティング。世界共通のキャリブレーションテープ作成と国際リファレンステープに基づいたテープ分類の規格統一化について話し合われる


フィンランドで、GENELEC(ジェネレック)設立、後にアクティヴ・モニタースピーカーの分野で世界のレコーディングスタジオを席巻
テクニクスから、アイソレートループ方式で、民生用としては唯一の76cm/sを搭載した超弩級オープンリールデッキ『RS-1800』登場、95万円、SXセンダストヘッド、オートバイアス/イコライザ回路を搭載



SONYが手のひらに乗るほどの小型モノラルタイプのテープレコーダー『プレスマン』発売



SONYの井深大が大賀義男に「ステレオ再生機能付きの小型のテープレコーダー」を提案し、後のウォークマンの原型となる



マクセルがVHSテープ『T-120E』『T-90E』『T-160E』『T-30E』を商品化



富士写真フイルムがVHSとベータ用のスタンダードテープを発売



TEACが業務用最高級カセットデッキModel C-1発売、239000円



VHSに3倍モードが登場、最長連続録画時間が6時間となる



松下電器が世界初の蒸着テープを開発し、マイクロカセット『オングロームテープ』で販売開始



日本ビクターがビデオディスク『VHD・AND』発表


1979年

2


SONYの盛田昭夫が『音楽を外へ持って出られて1日中音楽を楽しめるヘッドホン付きカセット再生専用機』後のウォークマン開発を指示、「若者(学生)がターゲットだから夏休み前に発売しろ、値段は4万円以下だ」とかなり無茶な要求だったが、当時のSONY社員は“なんだか使ってみたい製品だ・・・”と開発に着手
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10日・TDKが同社初のメタルポジション・カセットテープ「MA-R」発売。カセットテープの究極の音質を極めることを開発目標に「RSメカニズム」(Reference Standard Cassette Mechanism)というアルミ製の高精度ダイキャストフレームを使用した重厚な作りは、その価格とともに衝撃を与えた
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22日・SONYが世界初の再生専用携帯型ステレオ音楽プレーヤー『ウォークマンTPS-L2』発表、33000円、“いつでも、どこでも、自分の好きな音楽を、ステレオで好きなだけ楽しめる”という革新的コンセプトで『ポータブル・オーディオ』というオーディオ製品の新ジャンルを確立
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1日・SONYの革新的ポータブルカセットプレーヤー『ウォークマン TPS-L2』が発売されるも、この月の売上は3000台に終わる、当初は月産3万台を予定
8

SONYとフィリップスによるデジタルオーディオディスク(後のCD)の共同開発が開始、フィリップスが14ビット、直径11.5cm、録音時間60分を提案するも、SONYは16ビット、直径12cmを主張、さらに大賀義男が『ベートーベンの第九が切れ目無く再生できなければだめだ』として、クラシック曲の95%が収まるとされる75分の録音時間にまとまる
SONYのウォークマンが地道な宣伝活動で初回生産の3万台を8月で売り切り、その後半年間は品切れ店続出の爆発的ヒットを記録、『ヘッドホンステレオ市場』という新たなマーケットを創造
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マクセルが同社初のメタルポジション・カセットテープ『MX(メタキシャル)』発売



SONYがBVH-1000と完全に互換性のある携帯用の録画専用小型1インチヘリカルスキャンVTR『BVH-500』を開発、高画質VTRとしてハンディカメラを組み合わせてENGのように使ったり、車載VTRとするなど、一体型ハンディカメラが出現するまで幅広く使用される、NHKではNHK特集など高画質で長時間の収録が必要な番組に活躍



TASCAMが初の1インチ、16トラック・マルチトラック90-16発売



TEACが1/4インチ・4トラックレコーダーA3440S発売



富士写真フイルムがVHS用のテープ『HG』を発売



富士写真フイルムが1インチVTR用テープを発売



Lo-Dが世界初の全自動コンピューターチューニングシステムATRS(Automatic Tape Response Search)を搭載したカセットデッキ『D-5500DD』発売、19万8千円、



Lo-Dが、エルカセットデッキ『D-9000』発売、19万8千円、



パイオニアがコンピューター制御の超弩級デッキCT-A1発売、23万円、世界初のリボンセンダストヘッドを採用した3ヘッド方式や、使用するテープに合った録音バイアス・レベル・イコライザーを自動的に設定するAutoBLEシステム(Automatic Bias Level Equalizer Tuning System)を採用


1980年

12
東京電気化学(TDK)が、ジョージア州ピーチツリーに建設した初のビデオテープ工場が一部稼働開始、当初の規模は従業員200名で月産100万巻





SONYが業務用デジタルレコーダー『PCM-1600』を世界の録音スタジオに売り込みを開始するもエンジニアたちに「音質が硬く、音楽的でない」などと強烈な反対にあう、一方でスティービー・ワンダーやハービー・ハンコックらが積極的に支持



ナカミチが超弩級カセットデッキ『1000ZXL』発売、55万円、A.B.L.E.コンピューター(8ビットマイコン)を搭載し、録音ヘッドのアジマス調整、録音バイアス調整、録音再生レベル調整、録音イコライザー調整を自動化、テープに録音されている曲を好みの順序で再生することができるRAMM(Ramdom Access Music Memory)を搭載


1981年

4

ザルツブルクでCDの技術発表会を開催、カラヤンが熱烈な応援演説を行いCDを強力に推進
SONYがベータマックスと同サイズのビデオカセットを使用し、放送用の性能と信頼性を実現した、カメラ一体化VTR『BVW-1』をNABショーで発表、30年以上にわたって『ベーカム』の愛称で世界中の放送局のENGスタンダードとなる
5

日本で発表された『EEテープ』にBASFも参加を表明し、製品化を発表
TDK、maxell、TEAC、AKAIの4社が新しい高密度記録用オープンリール・テープ規格『EE(Extra Efficiency)ポジション・テープ』の開発を発表、ビデオやカセットのハイポジに使われていた高密度磁性体エピタキシャル(マクセル)やアビリン(TDK)を導入し、従来の酸化鉄系のテープより高い保磁力と大きな残留磁束密度で高域特性の大幅な向上を可能にし、特に低速録音時の音質向上を図ったもので9.5cm/s時の特性が従来の19cm/s時の特性に向上するとした
8
1日・音楽プロモーションビデオを24時間放映するミュージックテレビジョンMTVがアメリカのケーブルテレビでスタート、最初に放送したプロモーションビデオはバグルスの「VideoKilled The Radio Star(ラジオスターの悲劇)」
29日・AKAIがEEテープ対応Λ(ラムダ)ローディングのオートリバース搭載オープンリールデッキ『GX-77』発売、12万8千円
10


パイオニアがレーザーディスク発売



オーディオフェアで、SONYはじめ国内外の16社のCDプレーヤーの試作機などが参考出品される


フランスの辞書『プチ・ラ・ルース』がSONYの『ウォークマン』を掲載
TEACが7号リールオープンレコーダー22-4、22-2販売


プラハで開催されたIECのミーティングで、数年間の集中的な討議を経たコンパクトカセットのための新しいキャリブレーションテープの最終結果が提出される。サンプルの「ゼロテープ」はBASFとTEACによって作成された
ナカミチが超弩級カセットデッキ1000ZXLをさらにブラッシュアップした史上最高峰のカセットデッキ『1000ZXL Limited』を発売、85万円、使用パーツは全て特注品


東京で開催されたIECのミーティングで、前回プラハで配布されたキャリブレーションテープの採用が決定され、『IEC国際規格94、PART1』に代表テープとして記載。これによってコンパクトカセットにおいてはアナログテープレコーディング史上はじめて世界各国で均一なキャリブレーションテープを入手することが可能となる。オープンリールテープはこの後も日米欧でばらばらのまま AKAIが、同社初の超弩級カセットデッキ『GX-F95』発売、19万8千円、スーパーGX3ヘッドシステムで、マイコン制御のオートチューニング機構を搭載



TASCAMが1インチテープ、16トラック・オープンレコーダー『85-16』発売、当時の16トラック機としては、最も手頃な価格



この年、日本のビデオテープ産業が1兆円産業となる



日本の磁気テープ産業の規模がオーディオテープだけで約1300億円、輸出額も660億円となる






1982年
   CDが誕生
昭和57年
4


CBS/SONYが静岡県に建設した世界初のCDソフトの生産ラインが稼働開始
8


31日・ソニー、CBS・ソニー、蘭フィリップス、蘭ポリグラムの4社が共同で『CDシステム』を発表、
10


1日・SONYが世界初のCDプレーヤー『CDP-101』を発売、168000円、同時にCBS・ソニーから世界初のCDソフト50タイトルも発売、記念すべきCDソフトの生産第1号はビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」

ドルビー社が、家庭用のサラウンドシステム『ドルビー・プロロジック・システム』を開発

AKAIが、同社最後のオープンリールデッキとなる『GX-747dbx』を発売、23万円、dbx Type1内蔵でEEポジション対応



ナカミチが再生ヘッド自動アジマス調整機構NAACを搭載したカセットデッキ『DRAGON』を発売



Lo-Dが、同社の技術を結集して作った高級カセットデッキ『D-3300MB』発売、13万8千円、ヒタセンライトR&Pヘッド、メタルテープ対応、ATRS搭載



松下電器が蒸着テープ『オングローム』を発売



富士写真フイルムがVHS用テープ『スーパーHG』発売



8mmビデオ懇談会が発足



VHS-Cの標準規格が決定


1983年

3

31日・AEGテレフンケンの株式の75%をフランスのトムソンSAが買収し、テレビなどのコンシューマーエレクトロニクス部門がトムソンに売却される

4


4日・NHK朝の連続テレビ小説第31作『おしん』放送開始
5

ヨーロッパで初めてCDが発売される

8


CBSソニーレコードが株式会社CBSソニーグループに社名変更

3Mがビデオテープ開発の先駆者としての評価を受けエミー賞を受賞
AESで新しい業務用デジタル録音規格『DASH(Digital Audio Stationary Hede)』がまとまる
東京電気化学が社名をTDK株式会社に変更


独BASFが、デジタルマスターテープ『DSM 26 CR』を発表、磁性体に二酸化クロムを使用、ポリエステルベースで、テープ厚は23μ
新しい民生用デジタルテープレコーダーの規格統一を目指し『DAT懇談会』が業界内で組織され、回転ヘッド方式(R-DAT)と固定ヘッド方式(S-DAT)それぞれについて統一規格の策定と、両方式の比較検討を行う



TASCAMがオープンレコーダー30シリーズ(38、32)、58、58-OB発売



TASCAMが1/4インチテープ、2トラックの放送局向けモデル『52』販売



SONYが編集機能付きベータカムレコーダー『BVW-40』を導入し、撮影から編集まですべてをベータカムでできるシステムが完成



富士写真フイルムがベータ用長時間テープ『スーパーHG L-830』発売


1984年

1


25日・SONYが主要新聞に「ベータマックスはなくなるの?」のコピーで販売促進広告を4日連続で発表するも逆効果との声
3


松下電器が世界初の蒸着カセットテープ『オングロームDU』発売。
11


SONYが世界初のポータブルCDプレーヤー『D-50』発売、49800円、愛称は『ディスクマン』
12


日本初の民間衛星放送会社『日本衛星放送株式会社(JSB/WOWOW)』が設立される

Appleコンピューターがマッキントッシュを発売
BASFがオープンリールテープ誕生50周年記念
SONYがDASHフォーマットのデジタルマルチトラック・24チャンネルレコーダー『PCM-3324』の量産を開始、後継機の『PCM-3348』とともに世界中の録音・MAスタジオで使用される



TASCAMがオープンリールデッキ『40シリーズ』発売



TEACがオートリバースデッキX-2000R発売



パイオニアが世界初のLD/CDコンパチブルプレーヤーを発売



FUJIFILMが松下電器の業務用1/2インチカセットビデオシステムMII用メタルビデオテープを発売



松下電器が蒸着テープ『オングロームテープ』をコンパクトカセットで発売、テープポジションはTYPE2(ハイポジ)


1985年

1


8日・SONYが初のCCD&8mmVTRのビデオカメラ『CCD-V8』を発表、21日発売で28万円、同時に高性能メタル磁性体を使用した、小型(体積・重量ともベータカセットの1/4以下)、高密度記録(1/2インチカセットの約2倍)を実現した8ミリビデオ用テープ『P6-30』も発売
2

ドレスデンでゼンパーオペラの爆撃後40周年復興記念公演が全世界に生中継され、西ドイツで19%の高視聴率を得る、収録に使用されたのは日本コロムビアがデンマークのB&K社と共同開発した来たるべきデジタル録音を念頭において開発していた高性能マイク
開発中の高品位テレビの愛称を『ハイビジョン』と命名


ダイムラーベンツがAEGの残り株式を買収、テレフンケンの名がはずされ歴史ある名称が終了




新しい業務用デジタル規格『PD(Professional Digital)』が提案される



SONYが『ソニー高精細度ビデオシステム(HDVS)』を世界で初めて先駆けて商品化



TASCAMが本格的プロ対応モデルのオープンリールデッキATR-60シリーズ発売



ナカミチが初の完全自動化カセットデッキ『CR-70』発売



富士写真フイルムがカセットテープのブランドを『AXIA(アクシア)』に変更


1986年



英の代表的な英語辞典であるオックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリーが『Walkman』を掲載し、SONYの和製英語が正式に“英語”として認められる
この年、国内のCDの生産枚数が年間4500万枚となり、LPレコードの生産枚数を逆転、CDプレーヤー1号機の誕生から4年目


独BASFが、スタンダードバイアスのスタジオマスターリングテープ『SM911』発売、ポリエステルベースで、テープ厚は50μ、現在もRTMのブランドで生産継続
SONYがメタルテープを採用したベータカムSP第1号機『BVW-505』発表



SONYが世界初のコンポーネント・デジタルVTR(D1)『DVR-1000」』を発表、高画質な合成画像を得ることができるためCM撮影収録に広く使われる



UマチックSP発売



日本コロムビアがミュージックカセットの生産累計1億巻を達成


1987年




CDに匹敵する高音質なデジタル記録を可能とするカセット式デジタルテープレコーダー『DAT(Digital Audio Tape、ダット)』発売、記念すべき1号機はAIWAの高級ブランドEXELIAの『XD-001(18万8千円)』、続いてSONYが『DTC-1000ES(20万円)』、松下も『SV-D1000(19万8千円)』を発売



A&DブランドになったAKAIが、初のDATデッキ『D-9000』を発売、20万円



S-VHSが登場


1988年

9


NHKがソウルオリンピックをハイビジョンで中継、世界初の高品位テレビによるオリンピック中継となる



SONYが世界初のコンポジット・デジタルVTR(D2)『DVR-10』を発表、1インチアナログテープに代わり放送番組送出用に広く使用される



SONYが、世界初のポータブルDATデッキ『TCD-D10』発売、愛称は“デジタル・デンスケ”25万円



ナカミチが超弩級セパレート式DATデッキ『Nakamichi1000』発売、「世界最高のレコーディングマシン」を謳い130万円



SONYがVHSに参入、



この年、CDの生産枚数がLP最盛期の生産量の1億枚を超える



この年、カセットテープの日本国内販売がピーク、年間5億本巻を売り上げ


1989年

5


31日・SONYがパスポートサイズを謳い手のひらサイズで録画・再生ビデオカメラとして世界最小・最軽量のビデオカメラ『CCD-TR55』を発表、翌月21日発売で爆発的ヒット
6


1日・NHKが衛星放送の本放送を開始
6


SONYのウォークマンが第1号機発売から10年で累計5000万台を突破
11
SONYが米・コロンビア映画を買収、日本のバブル絶頂期の象徴的な出来事の一つ




SONYがレコードの自社生産を終了



マクセルが、オーディオ・カセットテープ『Metal Vertex』発売



8mmビデオの上位規格ハイエイト用テープ『Hi8ME』登場


1990 年

11


松下電器がユニバーサルスタジオを運営する世界的な総合エンターテインメント企業である米・MCAを100%子会社として傘下に収める。前年のSONYによるコロンビア映画買収に続き日本のバブル絶頂期の象徴的な出来事の一つ

3Mが、スタジオマスタリングテープの最高峰『Scotch 996』発売
独AGFAが録音テープ部門をBASF社に売却



1991年
平成3年
4


SONY系列のレコード会社CBSソニーグループがソニー・ミュージックエンタテインメントに社名変更
8
コロンビア映画社がソニー・ピクチャーズエンタテインメントに社名変更


11


SONYが新しい書き換え可能な光磁気ディスク規格『MD(Mini Disc)』の開発を発表

AMPEXが高性能マスタリングテープ『499』発表
BASFの磁気テープ部門がBASF Magnetics社として独立


Appleコンピューターがマルチメディアフォーマット『Quick Time』発表
ドイツのゼンハイザー社がノイマン社を傘下に収める


ALESISが最初の“手頃な価格”のデジタルマルチトラックレコーダーADAT発売



1992年

9

フィリップスとパナソニックが世界初のDCCレコーダー『DCC900』『RS-DC10』を発売、コンパクトカセットを互換性を保ちながらデジタル化した規格で、DATやMDの強力なライバル登場・・・かと思われたが結果は惨敗
SONYがMDを発表、11月に発売
11


1日・SONYがポータブルMDレコーダー『MZ-1』、ポータブルMDプレーヤー『MZ-2P』を発売

ドルビー社が『ドルビー・デジタル方式』を発表、独自開発した圧縮方式AC3で、5.1サラウンドの信号をフィルムのスプロケットの間の磁気トラックに記録
クデルスキー社が4ch、24bitのオープンリールデジタルレコーダー『Nagra D』発表
SONYが切手サイズの超小型カセットを使ったデジタルマイクロレコーダー『NT-1』発売、デジタル化技術の粋を尽くして小型化を成し遂げ、新たな価値観を生み出そうとした野心的な製品、



SONYの関連会社・ソニーミュージックがLPの製造から撤退



パイオニアがレガートリンクコンバージョン搭載のCDプレーヤー『PD-T09』発売、36万円、CD化によって失われた20kHz以上の信号を取り戻す動きが高まる



この年、CDの生産枚数が3億枚を超える



富士フィルムが新しい磁性材料としてBaFe(バリウムフェライト)磁性体の研究を開始、


1993年

3


SONYが1/2インチ幅カセットテープを使用したデジタルコンポーネントVTR『デジタルベータカム』を発表、独自の画像圧縮技術で高画質のデジタルコンポーネント記録を実現しながら、ベータカムと同じサイズと低価格化を実現

dts社が、5.1サラウンドの圧縮信号をCDに記録し、フィルム状のタイムコードと同期して再生させる『dts方式』発表

DENONがCDプレーヤーのD/AコンバーターDA-S1に『ALPHAプロセッサー』を搭載


1994年

8
ハリウッドの大手映画スタジオ7社が次世代の映画メディアと期待されるDVDに5つの要望を提出、片面135分起録、LDより高画質、5.1chデジタル音声、3〜5の言語、CDと同じサイズであること、とした


11


25日・NHKがハイビジョン実用化試験放送を開始

AMPEXのスタジオマスタリングテープでべたつき問題が顕在化。

YAMAHAがCDプレーヤーCDX-580に『PRO-BIT』を搭載し、パイオニア、DENON3社による波形再現技術の戦いが始まる


1995年

12


8日・CDと同じサイズで、より高性能で大容量の記憶容量を持つ『DVD』の規格が統一される、直径12cm、片面記憶容量4.7GB、MPEG2画像圧縮、転送レート4.69Mbit時の録画時間133分、

AMPEXが磁気テープ部門を売却し、QUANTEGYが設立される 独BASFが、ローノイズ・ハイアウトプットのスタジオマスターリングテープ『SM900』発売、ポリエステルベースで、テープ厚は52μ
SONYのウォークマンが生産累計1億5000万台に到達

パイオニアが北米と欧州市場で民生用CDレコーダーを発売




1996年

7
3Mが磁気テープ部門を分社化し、磁気テープ製造から撤退。部門はQUANTEGYに吸収される、データ記録部門等はイメーション(Imation Corporation)として独立


8

BASFがトルコのラックスグループに売却を打診するも、従業員代表らの抗議で中止に

11


1日・東芝が世界初のDVDプレーヤー『SD-3000(7万7千円)』発売、続いて松下、パイオニアからも発売されDVD時代がスタート
11


パイオニアが世界で初めてカセットデッキの内部信号処理をデジタル化する「デジタル・プロセッシング・システム」を搭載したダブルカセットデッキ『T-WD5R』を発売、6万円、レガートリンクコンバージョンほか、数々のデジタル回路を満載


独BASFが、スタンダードバイアスの長時間テープ『LPR35』発売、ポリエステルベースで、テープ厚は35μ、事実上BASFが開発した最後のオープンリールテープ



1997年

1

1日・BASF Magnetics社が磁気テープに使用する基材フィルムの専門知識を持つ韓国系企業KOHAPに売却されEMTEC(エムテック)Magneticsに社名変更。歴史ある名門BASFの名称が磁気テープから消える

3
東芝がDVDプレーヤーを米国市場で発売


6


SONYとフィリップスが、CDと互換性のある次世代のオーディオ・メディア『SA-CD』の技術発表、
10


中旬・パイオニアが世界で初めてDVD-R規格バージョン1.0準拠のDVD-Rドライブ『DVR-S101』とDVD-Rディスク『DVS-V3950S』を発売
12


上旬・パイオニアがデジタル・プロセッシング・システムを搭載した3ヘッド・シングルカセットデッキ『T-D7』を発売、コンパクト・カセット特有のヒスノイズをデジタル処理により解析して除去することで大幅に低減させCDに匹敵する低ノイズを実現、古いテープもクリアに再生可能とした、デジタル入力端子も装備



パイオニアが世界で初めてプラズマテレビを発売


1998年

10


16日・パイオニアが国内市場で初となる民生用CDレコーダー『PDR-D7』を発売、CD-RとCD-RWに対応

QUANTEGYが、AMPEX499と3M 996の技術を融合して開発した最高峰オープンリールテープ『GP9』を発売





下旬・パイオニアが、光ディスク技術を集大成したフラッグシップモデルのDVD/LDコンパチブルプレーヤー『DVL-H9』発売、23万円


1999年

9


21日・NECが12cm径光ディスク『MV DISC(Multimedia VideoDISC)』を使った世界初の家庭用ディスクビデオレコーダー『GigaStation』発売、35万円。DVD-RAMのようなカートリッジ型で、デファクトスタンダードを目指して各社に呼びかけるも、デジタルCSをアナログでしか録画できず、初号機はCD/DVDの再生ができないなどユーザー側に立たない設計で相手にされずにひっそりと姿を消し、DVDレコーダー登場後は忘れ去られる
9


29日・日立、松下、東芝がDVD-RAMによる民生用DVDレコーダーの開発を発表
12


上旬・パイオニアが世界初のDVDレコーダー『DVR-1000』発売、25万円、DVD-RW専用で、頭出し不要のランダムアクセス、32ステップの録画モードなどで『録画もテープからディスクの時代』の幕開け



DVDフォーラムで、CDをはるかに超える高音質規格『DVDオーディオ』が規格化される


2000年

12


上旬・パイオニアが、DVDレコーダーの2号機『DVR-2000』発売、25万円、民生用DVDレコーダーとして世界初のDVD-Rディスクへの録画を実現
12


27日・東芝が世界初のHDD/DVDレコーダー『RD-2000』発売、HDDは30GBで書き換え用にDVD-RAMを採用、「HDDに録画し、DVDに残す」という全く新しいテレビ録画スタイルを生み出すも、高価格と初期不良多発でこの時はヒットせず


2001年

4


SONYがオープンリールテープの販売終了、日本初の国産オープンリールテープ開発メーカーの51年の歴史に幕
4


テレビ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機の4製品を対象に、製造業者などが使用済み製品の再商品化の義務を負う『特定家庭用機器再商品化法(家電リサイクル法)』が施行される
7


下旬・パイオニアがDVDレコーダーの3号機『DVR-7000』発売、19万8千円、DVDレコーダー市場を一時リードするも、年末に東芝がHDD搭載機のRD-X1を発売したことで一気に色あせ大苦戦
12


1日・東芝がHDD/DVDレコーダー2号機『RD-X1』発売、16万8千円、RD-2000の不具合を大幅に改良し、HDDを80GBに増量、徹底的に考え抜かれたインターフェースと高画質設計で『RDスタイル』を確立し、熱狂的な愛用者が続出、テレビをビデオテープで録画する時代が終焉に向かう



日本コロムビアがAV・メディア関連機器部門のDENON(デンオン)を『株式会社デノン』として分社化



NAB-Jが調整用テープの生産を終了し、業務用録音メディアとしてのオープンリールテープの衰退が決定的になる


2002年
平成14年
2


超高性能カセットデッキの世界的メーカー・ナカミチが倒産
4


国内で唯一オープンリールテープを製造していたマクセルが、この月ついに生産を終了し、国産テープの歴史に幕
11


下旬・パイオニアが、同社初のHDD/DVDレコーダー『DVR-77H』発売、ユーザー間でパナソニックと東芝の機種と画質や機能、操作性を巡り三つどもえの闘いが繰り広げられる


アジア金融危機によりKOHAPが英LGVにEMTECを売却
日本コロムビアが社名を『コロムビア・ミュージックエンタテインメント株式会社』に変更






2003年

1

14日・EMTECがルートヴィヒスハーフェンの地方裁判所に破産申請手続き
下旬・東芝がHDD/DVDレコーダー4号機『RD-X3』発売、16万8千円、HDD容量を160GBに拡大、操作性を高め一段と改良されたインターフェースと高画質で、初期のRDの名機とされる
10

イメーションがEMTECの一部のデータストレージの資産買収を完了



2004年

4

RMGがRecordable Media International B.V. と社名変更に伴いフィリップスから独立

7


26日・東芝とメモリーテックが次世代DVD規格『HD DVD』ディスクの製造技術資料を公開を発表
11

EMTECの磁気テープの生産ノウハウ及び製造機器類をRMGが買収しSM911、SM900、LPR35等の高性能テープがRMGに引き継がれる
中旬・東芝がHDD/DVDレコーダーの5代目のフラッグシップ機『RD-X5』発売、16万8千円、業界で初めてDVD-RにVRモードの書き込みを実現したほか、完成されたインターフェースなどにより地上波アナログ・チューナー搭載RDの最高峰とされる
12
31日・QUANTEGYが財政上の理由から年末にひっそりとオペライカの工場を閉鎖し操業を停止。250人の従業員の一時解雇も行う




RMGがオランダ・オーステルハウトの工場でEMTECブランドのテープを引き継ぎ、生産を開始



2005年

1
QUANTEGY工場閉鎖のニュースが年明けに広まり、米レコーディング業界に衝撃が走る


2
QUANTEGYの工場が徐々に稼働しはじめテープ供給を再開


3
25日・DISCOUNT TAPE社がQUANTEGYの新しい所有者となる

NHKが国際博覧会「愛・地球博」に、次世代の高品位テレビ『スーパー・ハイビジョン』を展示
4
18日・QUANTEGYが新しい所有者の元で操業を再開


5

RMGがオープンリールテープのサンプル出荷を開始
下旬・パイオニアが、パッケージメディアだけでなくiPodやインターネットラジオなど多彩な音楽メディアを1台で高音質に楽しめるマルチミュージックレシーバー『PDX-Z10』を発売、15万円s
6

RMGがオープンリールテープの量産品の出荷を開始

AMPEXのプロ用テープレコーダー修理で知られるATR Service の創業者マイケル・スピッツが、新たな磁気テープ製造会社ATR Magneticsを立ち上げ、新設計のオープンリールテープ開発を始める



2006年

2


松下電器がMCAとの出資関係が終了
7


14日・東芝が、世界初のHDD/HD DVDレコーダー『RD-A1』発売、HDD容量1TB、価格は39万8千円のフラッグシップ機を初号機から投入するも、ブルーレイから主導権は奪えず

イメーション社がメモレックス社を買収




2007年

1
22日・QUANTEGYがオープンリールテープとアクセサリー類の販売終了を正式にアナウンス、アナログ録音テープの需要の減少のため


2
28日・QUANTEGYの注文受付最終日


3
QUANTEGYがオープンリールテープの最終ロット出荷終了、その後大半のテープ製造設備が売却・廃棄され、1950年以来『ORRadio Industries,Inc.』から始まりAMPEXを経たオペライカ工場での磁気テープ製造に終止符。同時にアメリカでのオープンリールテープ製造が一時途絶える


4
Reel Deal Pro社がQUANTEGY社のテープとアクセサリー類の在庫をすべて買い取り、自社サイトで販売開始


11


次世代の高品位テレビ『スーパー・ハイビジョン』がSMPTEで規格化完了

ATRが新開発のオープンリールテープ販売開始、当初は1/2インチ幅以上のみ
TDKが同社ブランドの記録メディア販売事業を3Mから分離独立した米国の記録メディア製造・販売メーカー・イメーション社(Imation Corp)に譲渡


2008年

10


松下電器産業がパナソニック株式会社に社名変更

米ローレンス・バークレー国立研究所で、19世紀にレオン・スコットがフォノトグラフで記録した波形のコンピューター解析に成功、再現されたのはフランスの童謡「Au Clair de la Luna(月の光)」

ケンウッドが日本ビクターと経営統合を発表

ATRが1/4インチ幅オープンリールテープの販売を開始




2009年

1


14日・パイオニアがレーザーディスクプレーヤーの生産終了を発表
9
21日・マーキュリー・レーベルの伝説のレコーディングプロデューサーであるウィルマ・コザートがNYの自宅で死去、82歳、400を越えるLiving Presence Seriesのクラシック作品を残した



QUANTEGYが456、499、GP9の再生産を検討中との情報が流れるが進展無し




2010年

4


SONYがカセットテープ対応ウォークマンの製造を終了し、月末に最後の5モデルの最終出荷を完了、1979年から始まったポータブルオーディオ分野が一つの区切りを迎える



コロムビア・ミュージックエンタテインメントが、創立100周年で社名を『日本コロムビア株式会社』に戻す、2002年に変えたばかり


2011年

12

仏・PYRAL社がRMGのオープンリールテープの生産並びに全世界の販売網を獲得
中旬・東芝が、6チャンネル分の地デジ放送を毎日24時間録画して一時保管することができる『タイムシフトマシン』を搭載したブルーレイレコーダー『レグザサーバーDBR-M190』を発売。テレビはリアルタイムではなく『タイムシフト』して観る時代に突入


2012年

1

NAGRA社のオーディオ部門が『Audio Technology Switzerland S.A.』として独立

4

RMGのオーステルハウト工場がPYRALのノルマンジー州アヴランシュにある工場に磁気テープの生産設備をすべて移転完了し閉鎖


QUANTEGYがオープンリールテープの再生産を検討中との2度目の情報が流れるが進展無し

富士フィルムがBaFe(バリウムフェライト)磁性体を使ったLTO6規格のコンピュータデータ記録用磁気テープを製品化。メタルテープよりも保持力が高い独自開発の新磁性体で、2.5TBの記録容量を実現した


2013年

10
12日・ATR Magneticsの創業者マイケル・スピッツ氏ががんのため死去、59歳

TDKが磁気テープの生産から完全撤退、国内で磁気テープを製造しているメーカーは、コンピューターテータ記録用テープの製造を継続しているmaxell、SONY、FUJIFILMの3社となる


2014年

5

富士フィルムが1巻で約154TBの記録容量を実現したコンピュータデータ記録用テープを開発。独自開発のBaFe(バリウムフェライト)磁性体を使用して、磁気テープにおける記録密度の世界記録を更新。CDに換算すると20万枚、書籍なら1億5400満冊に相当するデータが記録できる
7


オーディオアンプの名門サンスイ(山水電気)が破産申請
10


6日・SONYがテレビのENG取材の世界標準機となったベータカムシリーズの1/2カムコーダー機器を2016年3月で製造終了とアナウンス、テープの製造は継続
11


7日・パイオニアのAV事業部がオンキヨーと統合
14


OTARI松本工場で、最後のMX-5050シリーズの出荷が完了し、40年にわたるオープンリールデッキの製造に幕。同機の累計出荷台数は約5万台、最盛期の1985年頃は月間400台近くを製造


2015年

1

7日・PYRALがフランスのクレジットカードの生産と検査機器のメーカーであるMulann Industoryに買収され、その傘下で磁気テープ製造を継続

7


2日・TEACの修理センターMTSがXシリーズなどの民生機の修理対応を終了とHPで発表
11


1日・TEACの修理センターMTSが「ティアックカスタマーソリュージョンズ株式会社」に社名変更、HPを一新し7月に修理対応終了としていたXシリーズの修理受付可否を「お問い合わせ」に変更
11


10日・SONYがベータビデオカセットを2016年3月で出荷終了とアナウンス


2016年

1

13日・オーストリアのHORCH HOUSE社が新しいオープンリールデッキの開発計画『Project R2R』を発表

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4日・PYRALを傘下に収めた仏・MULANN(ミュラン)グループが、新ブランド『RECORDING THE MASTERS』を発表。歴史あるBASF/AGFAのテープは、EMTEC>RMG>PYRALを経てRECORDING THE MASTERSに引き継がれる
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ATR Magneticsが新製品のロングプレイテープ『MDS-36』を発売、同社のオープンリールテープとして2種類目の製品


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下旬・RECORDING THE MASTERSが新製品『LPR90』の出荷開始。SM900のロングプレイバージョンでハイバイアス

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25日・maxellが同社のカセットテープ発売50周年を記念して、1972年発売のUDの外観デザインを復刻したカセットテープを発売、でも中身はURで“ガワだけ”


2017年
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30日・ドイツのBALLFINGER社が、新型オープンリールデッキ『M063』の開発を発表
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4日・ドイツのBALLFINGER社が、ハンブルグ・ハイファイ・ショーで開発中の新型オープンリールデッキM063を公開 Sony Music Studios TokyoがNUEMANNのカッティングマシン『VMS70』をアメリカから購入しスタジオ内の専用ルームに設置、カッティングマスターの制作を開始。
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19日・ポニーキャニオンがURCレーベルの12作品をカセットテープで復刻開始、第一弾ははっぴいえんどの『はっぴいえんど』『風街ろまん』
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25日・TEACが自社の直販サイトでRECORDING THE MASTERSのオープンリールテープ販売を開始
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オーディオ評論家の麻倉怜士氏と潮晴男氏が新しいレコードレベル『Ultra Art Record(ウルトラアートレコード)』を立ち上げ。製作方針は、オーバーダビング、編集無しのワンテイク一発録音、圧縮無しがコンセプト。第一弾ソフトはUHQCDのオールディズジャズタイトル『情家えみ・エトレーヌ』で、PCM(24bit/192kHz)とDSD11.2MHzの他に、アナログレコード用としてSTUDER A-800を使い、2インチ76cm/sで録音された。録音スタジオはポニーキャニオン代々木スタジオ。


2018年

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25日 ソニー・ミュージックエンタテインメントがグループ会社のディスク製造工場・ソニーDADCジャパンにアナログレコード用のスタンパー製造設備を導入し、グループ内でアナログレコードの一貫生産体制が整う
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21日 ソニー・ミュージックエンタテインメントが29年ぶりにレコードの自社生産を再開し2タイトルを発売開始、復活第一弾は1982年のCD第一弾と同じビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』と、大滝詠一の『夢で逢えたら』
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1日 SHUREがカートリッジについて「生産部門で厳しい基準を維持することが困難になっている」とし、18年夏に生産終了すると発表、80年にわたる輝かしいMMカートリッジの歴史に幕


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YAMAHAが前年の東京インターナショナル・オーディオショウで参考出品していたベルトドライブ方式のアナログターンテーブルGT-5000を正式発表、音の本質を基本に忠実に追求するという「GT思想(Gigantic & Tremendpous)」に基づいて開発
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11日・レコーディング・ザ・マスターズがカセットテープの新製品『fox C60』を正式発表、FOX(フォックス)は磁性材料である「酸化鉄・Ferric Oxide(Fe2O3)」の頭文字を取ったことと、英語でキツネも意味し、その尾がオレンジであることから、RTMのイメージカラーとマッチするため命名された

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16日・レコーディング・ザ・マスターズがカセットテープの新製品『fox C60』の発売開始
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2019年

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レコーディング・ザ・マスターズがSTUDERタイプのNABリールクランパーの販売を開始、Red、Blue、Gold、Blackの4色

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9-12 世界最大級のハイエンドオーディオ展示会『ミュンヘンハイエンド2019』でTHORENSの新型オープンリールデッキ『TM1600』が公開となる。再生専用機で100台限定生産。

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ユネスコのIFAP(みんなのための情報プログラム)がIASA(国際音声・視聴覚アーカイブ)と共同で、『MagneticTape Alert Project』を開始。まだデジタル化されていない磁気テープを調査するもの。

30 キングレコードが関口台スタジオで、録音スタジオの生音をダイレクトにレコードに刻める『ダイレクトカッティング・マシン(独NUEMANNVMS70)』の稼働開始。1991年に稼働停止し倉庫にしまってあったVMS70を1年半かけて調整。この時点でダイレクトカッティングが可能なスタジオはロンドンのアビーロードスタジオとここだけ。
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12 民主党のジョー・バイデン(JoeBiden)大統領候補がテレビ討論会で「幼い子供達の夕方の教育に、すべてのアメリカの家庭はレコードプレイヤーを持つべきだ」と発言したとして一部のレコードファンが大興奮

2 TEACカスタマーソリュージョンズが、Aシリーズの修理一部対応をアナウンス
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23 フランスのAnalog Audio Design が、新開発のオープンリールデッキ『TR-1000』の実働機を公開し、KERWAXスタジオでテスト開始



2020年

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YAMAHAがかつての大人気レコードプレーヤーGTシリーズを復活させ「GT-5000」発売、税別60万円、37年ぶりのプレーヤーのフラッグシップモデルでアナログの世界に復帰した、製品ページ
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兵庫県西宮市のレコーディングスタジオ「STUDIO 1812」がオープンリールの2トラ38ミュージックテープを発売、自社スタジオでのオリジナル録音で、第一弾は「IMPRESSION 1」演奏は横山亜美(ヴァイオリン)、武田直子(ピアノ)
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06 レコーディング・ザ・マスターズが「MYSTIC」と名付けた携帯カセットプレーヤーをKickstarterでのクラウドファンディングで発売予告、30日以内の5万ユーロ集まれば製造開始
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中旬 世界的な新型コロナウイルスの感染拡大により、フランス全土での外出禁止令を受けて、RTMのオープンリールテープ工場も操業停止を余儀なくされる。操業停止期間はこの次点では3月中としている
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上旬 RTMのオープンリールテープ工場が操業再開のめどを5月下旬に変更
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下旬 フランス国内での新型コロナウイルスの感染拡大により操業停止していたRTMの工場が操業再開

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8 RTMがカセットテープの新製品『FOX C-90』を発表
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30 業務用カセットテープ製造の老舗・東京電化がカセットテープの製造終了。資材の入手難と機材の老朽化などのため、48年の歴史に幕。
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RTMが春にクラウドファンディングで発売を予告していた携帯カセットプレーヤーを発売、名称は「B-1000 WALKMAN」で4.083ユーロ 17 アナログ音楽再生芸術に生涯を捧げ「King of Analog」と呼ばれたオーディオ・エンジニアのティム・デ・パラヴィチー二(Timothy William de Paravicini)氏が死去、75歳


2021年





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6 蘭フィリップス社の製品開発部門で、カセットテープを発明したオランダ人技術者のルー・オッテンス氏が死去、94歳

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仏MULANN社が司法精算手続きに入り、英国の投資グループの傘下となる

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RTMのカセットテープFOXシリーズがマイナーチェンジ、ハーフが透明なものから半透明に変更

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RECORDING THE MASTERS のSM468が生産終了



2022年













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RECORDING THE MASTERS が、経営母体のMULANN社買収に伴い、新会社RTM industrys(アールティーエム・インダストリーズ)となる。ロゴマークやパッケージデザインを一新して、黒をベースとしたシックなカラーに変更



2023年



















2024年


















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